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2009年8月19日 (水)

本ほんご本:大山捨松/大塚楠緒子/与謝野晶子/茨木のり子

《本》

『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』大山捨松/大塚楠緒子/与謝野晶子

 日露戦争、そのとき女性たちは

 戦地に夫を送り出した銃後婦人、その代表として総司令官大山巌夫人捨松は献身的な活動を行い、慰問袋の発送・出征家族の見舞奉仕・赤十字社篤志看護婦会・愛国婦人会などに尽した。戦地での夫や子ども、兄弟を思う気持ちは身分に関係ない。女性の誰しもが無事の帰還を願ってやまない。
 旅順の総攻撃で多くの戦死者がでた直後、与謝野晶子は旅順口包囲軍中にある弟を思い、
君死にたまうことなかれ、旅順の城はおつるとも、おちざるとてもなにごとも」を雑誌「明星」に発表した。弟を思う気持ちが戦争反対だけでなく、天皇批判にまで及んだため、随筆家大町桂月は雑誌「太陽」で
「日本国民として許すべからざる悪口なり。国家の刑罰を加うべき罪人なり」と罵倒した。これにたいし、上田敏馬場孤蝶および与謝野鉄幹らは
「君死にたまうことなかれ弁護の演説会」を計画して新聞「日本」に予告した。この晶子の君死にたもうことなかれと並び称されるのが大塚楠緒子(なおこ)の「お百度詣で」である。雑誌「太陽」に発表された。
お国と我夫と いづれ重しととはれなば 答えずに泣かん
 穏やかではあるが、国と個人の相克を歌っている。晶子楠緒子、二人の歌は日露戦争を背景に生まれた反戦思想の美しい結晶といえる。
(『明治の兄弟』第3部・日露戦争より)

               *****    **   *****


《ご本》

 『茨木のり子詩集 見えない配達夫』  ( 童 話 屋 )
                                                                
 幼稚園児が二人、「ややこしや ややこしや」 かとおもうと「汚れっちまった哀しみに今日も小雪の降りかかる」 むじゃきに暗誦している。なんで5歳児が中原中也を、と思ったらNHKテレビ[にほんごであそぼ]で覚えたのです。ややこしい、悲しい、とか無縁そうな幼い子もやがて大人になります。
 大人になって社会にはねとばされ、傷つき、「汚れっちまった哀しみに」と涙でつぶやく日が来ないでと願います。ただ、物心両面の不均衡は世間にはよくあること。もし、つらかったら溜息ひとつ、うつむいた目の先に一編の詩があれば、癒されるかもしれません。

 詩の内容、形はさまざま、現代詩には批評、風刺がこめられたものが多いです。しかし詩の凄さは批判や主張が行間にあっても“みずみずしい”ところでしょうか。ここで茨木のり子の詩一編、声に出して読んでみませんか。
      

     わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね

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