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2009年10月

2009年10月30日 (金)

本ほんご本:寺田寅彦『柿の種』、『佳人之奇遇』批評高田早苗

『柿 の 種 』寺田寅彦・岩波文庫
 世の中には自分の理解を超えるものが山ほどあるが、それらの事象をすらすらわかってしまう優秀な頭脳もかなりある。リンゴが実っていれば紅くておいしそうと思うだけ、落下するリンゴから万有引力なんて想像もつかない。
 そのイギリスの大学者ニュートンを俳号にした人物がいる。それは学者で随筆家の寺田寅彦、『我輩は猫である』の寒月のモデルとしても知られる。
 寅彦は夏目漱石に英語と俳句を教わり俳号もいくつかある。「牛頓ニュートン」「薮柑子やぶこうじ」など学問から身近な自然まで幅広い。俳号にしただけでなくどの分野でも人に抜きんでているからその随筆はおもしろい。随筆集の一冊が「柿の種」であるが、最初の「冬彦集」から最後の「橡の実」まで数多い。
 ところで、お茶受けの「柿の種」、さるかに合戦の「柿の種」、寅彦の「柿の種」、どれが一番おいしいか。まず、寺田家へよばれて『柿の種』を味わってみませんか。

      『柿の種』より抜粋 
――― 棄てた一粒の柿の種 生えるも生えぬも 甘いも渋いも 畑の土のよしあし
                               
――― いつか、上野の音楽会へ、先生(夏目漱石)と二人で出かけた時に、われわれのすぐ前の席に、23、4の婦人がいた。きわめて地味な服装で、頭髪も油気のない、なんの技巧もない束髪であった。色も少し浅黒いくらいで、おまけに眼鏡をかけていた。しかし、後ろから斜めに見た横顔が実に美しいと思った。インテリジェントで、しかも優雅で温良な人柄が、全身から放散しているような気がした。(略)
 音楽会が果てて帰路に、先生にその婦人のことを話すと、先生も注意して見ていたとみえて、あれはいい、君あれをぜひ細君にもらえ、と言われた。もちろんどこのだれだかわかるはずもないのである。
         
――― 自分は冬じゅうは半分肺炎にかかりかけている(略)泥坊のできる泥坊の健康がうらやましく、大臣になって刑務所へはいるほどの精力がうらやましく・・・・。      

 明治・大正・昭和を生きた寅彦は若い日、『佳人之奇遇』を愛読した。同書の一節をかなりの明治青年が暗唱したようだ。たとえば・・・・・以下続きをどうぞ。

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2009年10月26日 (月)

上野不忍池で競馬があった:馬場辰猪

JR上野駅、すっかり模様替えして構内が新しくなり華やいでいる。それでも中央改札口上の壁画は昔の面影をとどめ、公園口改札が待ち合わせ人であふれているのは変わらない。西郷さんも変わりないが銅像を見上げる人々の風俗人情はどうだろう。

 上野といえば動物園、そして博物館美術館が幾つも、それに芸大もあって老いも若きも愉しめる。
 秋の彼岸、奏楽堂の演奏会でヴァイオリンとオルガン、チェンバロの演奏にうっとり、そして秋の盛り展覧会を二つ三つ鑑賞して目の保養をした。上野の楽しみは尽きないばかりか知的雰囲気が漂い豊かな気分にひたれる。
 不忍池の周辺を散歩し上野広小路に出ると商店映画館寄席デパート、ガード下にはアメ横があり庶民的雰囲気がまたいい。食べて、見て、笑って、買い物してとこれ又楽しみは尽きない。上野は芸術と教養、食と娯楽が混在してる不思議な空間だ。

 
 ところで上野公園の生みの親をご存じですか。明治のはじめ長崎医学校のオランダ人教師ボードワン博士です。博士は大学病院建設予定地を視察、戊辰戦争で荒れたままの上野の山を見て「景勝閑雅な由緒ある地は公園にするべき」と政府に忠告しました。政府は意見をいれて日本の公園第一号としたのです。

 ハスの花の名所、不忍池にはボートが浮かび水面も周囲も親子連れやグループ、二人連れなどなど賑わっているが、かつてここで競馬が開催された。
 競馬場の写真が下町風俗資料館2階にあり、池を見下ろしながら眺めると今と昔が一目瞭然。
 その競馬のある日、不忍池のほとりで二人の明治青年が日本の将来を憂え、国のとるべき道を語り合った。一人は柴四朗、もう一人は馬場辰猪・・・・・以下、続きをどうぞ。

  
       

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2009年10月21日 (水)

『ある明治人の記録』柴五郎、義和団事変・北京籠城

 いよいよ20世紀も終わる、世紀末ともなると何か起きるんじゃないか。妙にはしゃいだ2000年からおよそ10年、新世紀になっても自らを幸福と言える人は少ないようだ。便利な世の中になったが社会に不公平感がただよい、やりきれないニュースも多い。

 ところでその前の世紀末1900年は何があったのだろうか。日本で言えば明治33年は日清戦争に勝利した日本が“西欧列強”に伍してアジアに進出、北清(義和団)事変に遭遇した年である。このとき北京で“北清事変の花”と謳われる活躍をしたのが柴五郎である。
 五郎はイギリス駐在武官のときに米西戦争の観戦武官を命じられロンドンからカリブ海に赴き、その後、清国公使館付武官を命ぜられ北京で義和団の乱に遭ったのである。

 1898年、アメリカはキューバの独立戦争に介入し、米西(アメリカ・スペイン)はカリブ海で衝突する。日本は観戦武官を海軍・秋山真之(日露戦争で連合艦隊の作戦参謀)、陸軍・柴五郎の二人を派遣した。柴砲兵少佐はアメリカ軍艦に日本人が7~10余名、炊事夫や小使として乗り組んでるのも報告してる。軍事のみでなく、こうした下働きにも目がいくところに五郎の人間性がみてとれます。
 柴五郎は後に陸軍大将にまで上るが、成人し志を得るまでに辛酸をなめます。『ある明治人の記録』は、戦に敗れ賊軍とされた側の辛苦を声高に言いつのるでもなく、たんたんと述べて却って読む者の胸に迫ります。

 柴家は戌辰戦争で祖母、母、姉妹の5人が自刃しました。7歳の五郎少年は生き残り、下北半島に移住しますが食べ物がなく、死んだ犬の肉を喉につかえさせ、父に「それでも武士の子か」と叱られます。

 飢えの日々も学問に励み、雪の中を裸足で通学しました。冬でも浴衣に縄のひも、東京では下僕生活、やがて陸軍幼年学校を受験します。15の春に合格、今なら中高生の少年が
「これで食べる心配無しに勉学に専念できる」と喜んだのです。卒業後は会津を攻めた薩長の明治政府の軍人になるのです。敗者も生きなければなりません。
 当時、五郎と同じく生きるために陸海軍の学校に入り軍人となって日本に尽くした若者は多いでしょう。

 清廉潔白の軍人といわれる五郎の活躍を『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』第3部第6章からどうぞ。

 

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2009年10月16日 (金)

映画「麦の穂をゆらす風」と『佳人之奇遇』

 日本で有名なアイルランド人というと小泉八雲ラフカディオ・ハーンでしょうか。近ごろは日本国内でアイリッシュ・パブアイルランド特産の黒ビールや伝統音楽やダンスを楽しんでいる人もいるようです。
 この様なことを知ったのは数年前で、それまではIRA、アイルランド紛争とかニュースの中のイメージしかなかったです。それが明治の小説からアイルランドに興味をもち、この国の苦難の歴史を知りました。
 
 アイルランドはじゃがいもの大飢饉(1845~1852)で人口が160万人も減ったのです。それには700年もの間この国を支配していたイギリス政府の責任もあるといわれます。
 アイルランドで独立戦争が起きたのは日本でいえば大正時代半ばで、麦の穂をゆらす風は反イギリス独立運動の抵抗歌の題名です。

 英語でなく、アイルランド語で自分の名前を名乗った青年が英国の治安警察部隊に殺される―――アイルランド独立戦争を描いたケン・ローチ監督の映画「麦の穂をゆらす風」の冒頭シーンは衝撃的だ(毎日新聞“EU旗をゆらす風”福島良典)。

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 これより30年以上前にアイルランドの惨状に同情した明治人がいたのです。『佳人之奇遇』の著者東海散士・柴四朗です。
 散士は「佳人之奇偶」第2編で、アイルランドの農村でイギリス兵の略奪と暴行を描いています([愛蘭惨状ノ図])。
 19世紀のアジアに押し寄せるヨーロッパの強国と明治日本、その現状を見るととても他人事とは思えなかったのでしょう。
 言論取締りがあり、表現に制約がある社会なので当時はやりの政治小説の形をかりて人々に警告したのです。この編に序をつけているのは土佐の後藤象二郎です。
 ちなみに『佳人之奇遇』第2編の内容は以下のよう

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2009年10月13日 (火)

 展覧会:手にこだわった14人の表現

Photo_20   21世紀・絵画・手の仕事    グループ「手の会」

こだわった14人の表現

会期/ 2009年10月8日(木)~11月4日(水)
会場/ 丸の内、行幸地下ギャラリー
主催:日本建築美術工芸協会
協賛:三菱地所株式会社

                  グループ手の会の14人
大蔦貞男、河村純一郎、北藪和夫、黒瀬道則、甲谷武、小嶋勇、櫻井孝美、笹岡敏明、十河雅典、藤原和子、堀 晃、森竹巳、安原竹夫、山田展也

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2009年10月12日 (月)

本ほんご本: 中島敦

   2009.10.10 毎日新聞夕刊の一面は 日中韓首脳三人が手を取り合っている写真に「東アジア共同体」協力の大きな見出し。戦争は無くなっていない世界だけれど、三首脳の笑顔にほっとするものを感じた。
 日本、中国、韓国の間に実際は競争もあり、駆け引きもあるだろう。でも向かい合って話ができるのは三国の過去をふりかえると良い前進だと思う。

 終戦の年から64年たつが、とにもかくにも終戦を生きて迎えることができた人は苦労しつつも生きのびただろう。しかし戦時中に力つきた人もいる。文学者中島敦もその一人だ。

 中島敦:昭和期の小説家。代表作「山月記」「光と風と夢」「李陵」など。『中島敦全集』全3巻。

中島敦は日米開戦のニュースを南の島で・・・・・
以下、『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』第5部第6章「サイパン島南洋支庁」より40

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2009年10月 7日 (水)

本ほんご本:歴女におすすめ史談会速記録

   近ごろ歴史ブームとかで歴女というのがトレンディらしいが自分に当てはめると歴婆か。まあババでもいいが歴史好きカルチャーおばさんとしては歴女のみなさんに、歴史本から知るのも手っ取り早いが、自分で調べる歴史をお薦めしたい。

 幕末明治だとかなりの日記や文書が残されていて、時間と手間を惜しまなければいろいろ知ることが出来る。とはいえ巻紙に筆でさらさらの手紙はそうかんたんに読めない。
 国会図書館・憲政資料室で明石元二郎から柴五郎へ宛てた巻紙の手紙を見つけたものの全く読めない。カウンターへ行って読解をお願いしたら
「一字や二字ならともかく全部なんてとんでもない」と叱られた。まったくその通りで、返す言葉もなかった。
 それはさておき活字になった資料なら難しい漢字が出てきても辞書をひき読める。幕末明治から昭和初期までの歴史が好きな人におすすめしたいのが維新史料編纂会『史談会速記録』である。

 『史談会速記録』は明治25年から昭和13年(1892~1938)まで続いた例会の談話を掲載した機関誌。たいていの図書館で取り寄せ可能であるが冊数が多いので目録から興味のある事件の記録を読むとよさそう。
 戊辰戦争鳥羽伏見の戦いなど敵味方だった者が膝つきあわせ、お互いの思い違いを修正したりする場面もみられる。徳川将軍の暮らしぶりから幕末政治史の側面など、当事者によって語られなかなか興味深い。ただ年数がたってからの話なので思い違いなどもあり完全ではない。しかしそれを割り引いても当事者の話から当時の雰囲気を味わうことができる。
 ちなみに、この速記録ははじめから敵味方の隔てなく会合し速記録ができた訳ではない。歴史は勝者が語るで、はじめは勝者の側からのみだったが、
 

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2009年10月 4日 (日)

赤い羽根、エルトゥールル号義捐金

 2009.10.2深夜、2016年のオリンピック開催地決定の中継をみた。東京は2回目の投票で落選、がっかり、ホッと、どっちが多いのかな。
 決定したのはリオデジャネイロ。朝刊には【リオ五輪、熱狂の渦・5万人がサンバ】の見出し、南米初のオリンピック決定に喜びを爆発させているブラジル人が紙面に踊っている。

 今やテレビ中継のおかげで錯覚かも知れないが世界の国々が近くなっている。ただし中継は明るい話題よりも厳しい現実を、また大きな災害を映し出す。何といっても恐ろしいのが戦争のニュースだ。子どもの犠牲者も多い。
 折しも「ユニセフ・マンスリーサポートプログラム」の案内と申込用紙が送られてきた。年金暮らしなのでささやかな金額を書いて申し込んだ。

 寄附といえばだいぶ前に赤い羽根共同募金の箱をさげて駅前に立ったことがある。慣れないことでもあり下を向いて「お願いしまーす」。声も小さいのに千円札を入れてくれた人がいた。そして「お母さん」、顔を上げると市内に住む娘の旦那さんだった。
 嬉しい偶然にそれからは「共同募金お願いします」が元気に言えて、募金をしてくれる人が何人もいた。この季節になると、人のやさしさを思い出す。

 明治の昔も助け合いの精神はもちろんあった。なかでもトルコのために義捐金を募り、届けた話がある。山田寅次郎エルトゥールル号、ご存じだろうか。次をどうぞ。
 

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