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2010年5月

2010年5月29日 (土)

歴史を今に蘇らせる

   病院や銀行など待たされて嫌だけど、置いてある新聞雑誌で気になる記事が見つかると待ち時間が苦にならない。読売新聞磯田道史という名を見、『武士の家計簿』の著者と気づき、連載されてる“古今をちこち”を読んでみた。

 慶應義塾図書館の旧館、地下書庫で古文書を読み出して20年、まだ読み尽くせない・・・・・これだけでも圧倒されるのに、「何万もの和装本やさらに多いだろうマイクロフィルム版古文書を、全巻見ていくことにした」と書いてある。

 こういう気の遠くなるような作業というか学問があって、何とも地味な「家計簿」を幕末維新の実録として圧倒的なおもしろさで現代に蘇らせたのだと納得した。
 2010.5.26“古今をちこち”は「大久保忠隣公御覚書」を解読した話である。「家康の名誉に殉じた忠臣」幕府老中元祖ともいうべき忠隣の話はなかなか興味深かった。しかし自分は「覚書」の元の持ち主、文豪露伴の弟、幸田成友(しげとも)に目が止まった。

 成友は露伴の弟でないとしても後世に名を残すほどの学者だと思うが、その自叙伝は『凡人の半生』というのである。謙虚にもほどがあると思うが、昔の学者の感覚とはそうなのだろうか。
 自分の持っている『凡人の半生』は昭和23年刊で古いが、幕末維新江戸から東京への転変を生きた記録として読んでも面白いと思う。どこかで見かけたらどうぞ。

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2010年5月26日 (水)

居るも居たり800人、愛沢寧堅からワルデルゼーまで

     「この本はずいぶん登場人物が多いね。500人くらい居る?」
『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』を読んだ人からそう言われて、そんなに居るかなあと片っ端から人名を抜き出してみました。すると著者もびっくり、800人にもなった。人名索引つけるページの余裕がなかったのが残念、そこでここにあげておきます。知っている人、何人いますか?それより見るだけで疲れた人ごめんなさい。

『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』人名表

[あ行]
 愛沢寧堅    相原尚褧  アインシュタイン  青木輔清  青木宣純  青木周蔵  明石元二郎  赤羽四郎  秋月悌次郎  秋山真之  秋山定輔  秋山好古
芥川龍之介  浅井忠  安積五郎  浅野長勲  足利尊氏  安達謙蔵  篤姫  
アブドゥルハミトⅡ世  安部井磐根  阿部豊後守  阿部正弘  安部事務官  安部磯雄  甘粕  鮎貝槐園  荒尾精  アラビー・パシャ  有坂成章  有栖川宮熾仁親王  アレクサンドル・サバーチン  ALLEN K. FANST  アロイージ男爵  安重根  安藤大尉  安藤信正  アーネスト・サトウ  
 飯岡  飯島亀太郎  井伊直弼  飯沼貞吉  井口砲兵大佐  池田大佐  池辺吉十郎  池辺三山  イザベラ・バード  伊沢修二  石井外相(菊次郎)  石川弥  石川兼六  石川啄木  石黒忠悳  石井研堂  石光真清  石本新六  伊地知幸介  伊地知正治  伊集院公使(彦吉)  五十君弘太郎  磯高麿  板垣退助  板倉伊賀守  伊丹十三  イタリア皇帝  市川正寧  一瀬要人  一瀬勇三郎  一野瀬多喜衛  伊藤痴遊  伊藤博文  伊東祐亨  犬養毅  井上馨  井上角五郎  井上勝之助  井上毅  井上弥八郎  伊庭想太郎  今立吐酔  岩倉具視  岩崎久弥  岩崎弥太郎  (ジョン・)イング
  ウィリアム・ウィリス  ウイッテ  ウィリアム・マック・ダイ  ウィルソン大統領  植木枝盛  上田敏  上野(理一) 上野西郎  上原勇作  ウォルター・スコット  ウオルフ  鵜崎熊吉  薄井恭一  宇田成一  内田定槌  内田仲之助  内田良平  内田魯庵  内山小二郎  宇都宮太郎  内村鑑三  宇野東桜  馬屋原務  梅田又次郎  梅原亀七  梅屋庄吉  瓜生岩   瓜生外吉  雲外道士  
  江川太郎左衛門  エジソン  江藤新平  エドワード七世  榎本武揚(梁川)  エブラル神父  エメェ・アンベール  袁克定  袁世凱  遠藤喜太郎
  大井憲太郎  大石正巳  大浦(兼武)  大江卓  正親町侍従長  大久保利通  大隈重信  大倉喜八郎  大越成徳  大島貞益  大杉栄  太田黒軍務官  太田正孝  大塚楠緒子  大鳥圭介  大沼敏男  大野栄馬  大庭機  大東義徹  大町桂月  大村益次郎  大山巌  大山綱介  大山綱良  岡倉天心  岡本綺堂  岡本柳之助  小笠原壱岐守  小川一真  小川健三  荻原秀次郎  奥青輔  奥保鞏  小栗上野介  小栗孝三郎  おけい  尾崎紅葉  尾崎行雄  尾崎行昌  小沢豁郎  オスマン・パシャ  落合豊三郎  落合直文  小野梓  オーストリア皇太子夫妻  オールコック

[か]
海妻、和宮、片岡健吉、勝海舟、勝間田警保局長、桂太郎、加藤清正、加藤高明、加藤友三郎、門田正経、金子堅太郎、兼松房次郎、鹿目、樺山資紀、神尾光臣、上村海軍予備中将、萱野権兵衛、萱野安之助、川井たま、河井継之助、川上操六、川上大尉、紫山(川崎三郎)、河島醇、川島浪速、川島芳子、川路利良、管野すが、カール・ウェバー、蒲生秀賢、加屋(神風連)、ガリバルジー、ガンベッタ、
  菊池九郎、菊池三樹、北一輝、北白川宮能久親王、キッチナー将軍、木戸孝允、木村芥舟、権平、木村信二・いつ子、木村兵庫・(柴)かよ、木村牧、丘逢甲、清浦奎吾、清河八郎、桐野、桐生悠悠、金允植、金玉均、金弘集、金宏集、全琫準、魚允中、
  陸羯南、日下義雄、楠瀬幸彦、楠本正隆、工藤林助、国友重章、久邇宮、雲井龍雄、倉石大尉、倉場富三郎、栗野慎一郎、栗本鋤雲、来島恒喜、黒岩周六(涙香)、黒木為楨、黒沢源三郎、黒瀬中佐、黒田清隆、クロポトキン、桑原源造、グリフィス、グラバー、グラント、グリーリー・フォーレス(虞令禮)、郡司成忠、慶親王、景梅九、ケレンスキー
  顧維鈞、耕雲山人、洪鐘宇、高宗、幸田幸子(安藤)、幸田成友、幸田延子、幸田露伴、光緒帝、幸徳秋水、江南哲夫、河野広中、神鞭知常、孝明天皇、河本大佐、康有為、国分平七、児島惟謙、古荘嘉門、五代友厚、児玉源太郎、コッスート、後藤象二郎、後藤新平、近衛文麿、小林楠雄、小松宮彰仁親王(仁和寺宮)、小村寿太郎、小室金吾、小室信夫、小山六之助、近藤勇、今藤博堂、近藤朝鮮代理公使(真鋤)、コンドル、コンノート親王、コーワン大佐

[さ]
西園寺公望、西郷従道、西郷隆盛、西郷頼母、斎藤等、斉藤実、崔済愚、崔時享、阪井重季、堺利彦、榊原浩逸(鉄硯)、坂田厳三、坂本弥一郎、坂本龍馬、佐久起四郎、作山美八、佐々木信綱、佐々友房、佐藤泰治、佐野常民、三条実美、山東一郎(直砥)・毛登、サンドルソン(Saunderson・Nicholas)、三宮耕庵、
  品川弥二郎、塩野芳兵衛、志賀重昂、品川弥二郎、篠原国幹、柴垣一雄、斯波淳六郎、柴 東・機佐、柴謙介(志計留)、柴五三郎、柴五郎・熊衛/ミツ(花子)、柴佐多蔵・日野氏/日向ふじ、柴さつ、柴四朗(東海散士)・きく、柴太一郎・すみ子/徳子/小櫃氏、柴つね、柴平四郎・みつ、柴守明・か弥子、柴守三、渋沢栄一、島田一良、島田三郎、島地黙雷、島津斉彬、シャルウベー砲兵中尉、秋瑾、秋村居士、粛親王、シュタイン(ロレンツ・フォン・シュタイン)、蒋介石、昭和天皇、白井新太郎、白瀬矗、白根次官、白柳秀湖、神瞽、シーモアー海軍中将、徐載弼、ジョルダン、ジョン万次郎、ジョージ六世、陣森兵蔵、神武天皇
  末広重恭(鉄腸)、杉浦重剛(天台道士)、杉野上等兵曹、杉野愛子、杉村濬、杉山彬、鈴木重遠、鈴木貞造、鈴木天眼、鈴木守蔵、ステッセル、須藤時一郎、スネル兄(ヘンリー平松武兵衛)、スネル弟(エドワード)、スミスヱルドル、住吉太郎、諏訪(五郎従兄)
  西太后、関澄蔵、石心鉄腸子、世古格太郎、世良修蔵、ゼノア公、宋教仁、宗慶、曾国藩、荘田平五郎、副島種臣、曽我祐準、祖順和尚、外島義直、孫逸仙(孫文)

[た]
大正天皇、高木(会津の少年)、高木兼寛、高崎猪太郎、高砂浦五郎、高杉晋作、高田早苗(半峰)、高梨哲四郎、高野長英、高橋健三(自恃)、高橋孝太郎、高橋是清、高橋太華、高橋與五郎、高浜虚子、高平駐米公使(小五郎)、高山(東京電報記者)、田口卯吉、竹内(スイス時計修行)、竹内正志、竹添進一郎、武田泰淳、武田範之、立花小一郎、立見尚文、田中義一、田中国重、田中玄清、田中正造、田中土佐、田中八郎兵衛、田中不二麿、田辺太一(蓮舟)、谷干城・玖満子、谷芳子、玉乃世履、田村怡与造、田山花袋、大院君、大東萍士(土田泰蔵)、段祺瑞
  千頭清臣、秩父宮、鈕叔平(清国人)、張作霖、張徳盛、珍田捨巳
  ツアーリ(ロシア皇帝)、塚本ふじ子、津田梅子、津田三蔵、津田真道、土屋敬治・(柴)そい、坪内逍遥
  手代木直右衛門、寺内正毅、寺田寅彦、デロング夫人、田健治郎、デンマーク領事
  樋田魯一、唐景崧、東郷平八郎、唐紹儀、東条英機、東条英教、唐人お吉、遠山景福、頭山満、戸川安宅(残花)、徳川昭武、徳川家定、徳川家達、徳川家光、徳川家茂、徳川慶勝、徳川(一橋)慶喜、徳富猪一郎(蘇峰)、徳富蘆花、戸田忠厚、戸田極子、戸田欽堂、富田鉄之助、鳥谷部春汀、豊川良平、豊田真佐男、鳥居龍蔵、鳥尾小弥太、トンプソン、道家斉、ドゥブーレイ、ドナルド・キーン

[な]
内藤可隠、中江兆民、中岡艮一、中上川彦次郎、中川宮、中川領事、中島信行、中島敦、中田敬義、中野中尉、中丸宣明、中村敬宇、中村弘毅、中村朔也、中村正直、中村弥六、中安信三郎、永井繁子、永井尚志、長岡外史、長岡重弘、永岡久茂(敬次郎)、長沢別天、永島貞次郎、永田虎之助、長森伝次郎、夏目漱石、難波二郎三郎、鍋島文武、鍋島閑叟、鍋島直大、鍋島信子(松平)、鍋島半八郎、ナポレオン一世、楢原書記官、成島柳北、南摩綱紀
  ニコライ(ニコライ堂)、ニコライⅡ世(ロシア皇太子)、ニコルソン中将、西河通徹、西竹一、西田長寿、西徳二郎、西野文太郎、西原亀三、西原・(柴)春子、西原照子、西山警視総監、新渡戸稲造、二本柳(鍛冶屋)、西村天囚
  額田坦、沼間守一(慎次郎)
  ネボガドフ
  乃木希典、野田豁通、野田文之助、野津道貫、野辺地久記、野村監物、野村直臣

[は]
橋本左内、長谷川孝義、長谷川芳之助、長谷川好道、畑英太郎、畑俊六、蜂須賀茂韶、八田勇次郎、服部誠一、服部宇之吉、鳩山和夫、花井卓蔵、花房義質、浜面大佐、ハミルトン中将、林子平、林董、林房雄、林有造、原口兼済、原 敬、原田庄左衛門、原大尉、ハリス(駐日総領事)、ハリマン、ハルトレー、ハル国務長官、ハーネル(パーネル)、馬場孤蝶、馬場辰猪、阪正臣、ハリー・パークス、パーリー(英語教師)
  東久世通禧、東伏見依仁親王、樋口一葉、土方歳三、肥田景之、日向左衛門、日向与三右衛門、日向新六、平泉澄、平田東助、平塚らいてう(雷鳥)、広沢安宅、広沢富治郎(安任)、広瀬武夫、弘田長、ビッドル東インド艦隊司令官、閔妃、P・C・スミス、ピーター・フレミング
  ファヴィエ大司教、フィルモア大統領、ファイト(オランダ商館長)、溥儀(宣統帝)、福沢諭吉、福島安正、福田(景山)英子、福地源一郎、福富孝季、福原越後、福本日南、藤井茂太、藤井竹外、藤井ホノルル総領事、藤井光五郎、藤田重道、藤田伝三郎、藤田茂吉、藤田軌達、二葉亭四迷、フランス大統領、古河市兵衛、古川(五郎部下?)、フルベッキ、フルーラック仏公使館付武官、フレデリック・マーシャル、ブラウン、ブラック(J・R・ブラック)、ブリキストン(デンマーク領事)
  ヘイズ大統領、ヘボン、ヘレン・ケラー、米元章、ペリー、ヘンリー・シー・ケーリー
  星 亨、細川護成、堀江元老院議官、堀口九万一、ホワトーン、本郷房太郎、本庄繁、望洋居士、朴永孝、ボアソナード、ポンタヴィス・ド・ウーセー

[ま]
前島密、前原一誠、マカロフ、真木和泉、牧野健蔵、マキノン(イギリス人技師)、マクドナルド、正岡子規、増島六一郎(芳暉園主人)、益田孝、松岡洋右、松方正義、松平容敬、松平容大、松平容保、松平定敬、松平定信、松平節子(秩父宮妃)、松平喜徳、松平春嶽、松平節子、松平恒雄、松平乗承、松平慶民、松田正久、松田道之、松永正敏、松本順、松本中佐、松本平十郎、松本良順、マフディー、マルシャン
  三浦梧楼、三浦信六、三島通庸、水田新太郎、水野(スイス時計修行)、水野吉太郎、三田村鳶魚、南方熊楠、源頼朝、宮居、三宅花圃、三宅雪嶺、宮崎璋蔵、宮崎滔天、宮島誠一郎、美山憲一、箕作秋平
  陸奥宗光、武藤信義、村田新八、村田砲兵中尉、村山龍平
  メアリー・ダヌタン、明治天皇、メッケル(ドイツ陸軍少佐)
  毛利恭輔、望月辰太郎・(柴)つま、本野一郎、森有礼、森鷗外、モリソン(G・E・モリソン)、森田大尉、森寅之助、モルトケ、師岡節斎

[や]
矢島楫子、安瀬敬蔵、安場保和、柳宗悦、柳田泉、柳谷謙太郎、柳谷藤吉、矢野龍溪、山内容堂、山内高級副官、山岡鉄太郎、山川健次郎、山川大蔵(浩)、山川捨松(大山)、山川常盤、山川フタバ、山川均、山鹿素行、山県有朋、山県悌三郎、山口挙直、山口素臣、山口千代作、山口(青森歩兵第五連隊)、山田大路、山田顕義、山田寅次郎、山田尚子、山田美妙、山田烈盛、山梨半造、山本権兵衛、山本宣治、山本達雄、山本長十郎、山本八重子
  由比光衛、湯地丈雄、ユーゴー
  洋々道人(高木伊三)、横井小楠、与謝野晶子、与謝野寛(鉄幹)、吉田清成、吉田松陰、吉田次郎、吉田東洋、吉野作造、依田学海、米倉(貿易商人)

[ら]
ラフカディオ・ハーン
  李完用、李鴻章、李仙得ル・ジャンドル/リゼンドルCharles・Legendre
  リットン卿、リヒテル(シーメンス商会員)、劉銘伝、李容九、リリウオカラニ女王、林則徐、輪王寺宮(のち伏見宮)
  ルカミエ夫人、ルセー(イギリス人技師)、ルーズベルト大統領
  ロジェストウェンスキー、ロセング、ロッシュ、ローゼン駐米大使

[わ]
若槻礼次郎、若松賤子、若松市長、若山儀一、渡邊治、渡辺崋山、渡邊玄包、ワルデルゼー

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2010年5月23日 (日)

アジ歴/柴太一郎

Photo  
会津の柴五郎兄弟について資料を集めるに際して、素人がするのだから史資料を手に入れるだけ集めようと都内の図書館や大学、会津はもちろん青森・熊本など地方へも行った。そうしたとき、アジア歴史センター(通称・アジ歴)を知って、ほんとうにうれしかった。

アジ歴は明治初年から第2次大戦終了までの国が所蔵する歴史資料をインターネットで公開、無料である。自分のようなカルチャーおばさんでも検索機能を使えば資料にいきつくことができる。このブログをお訪ねくださるような方はきっと歴史好き、いちどクリックしてみてはいかが。http://www.jacar.go.jp/

   写真は国立公文書館公文別録よりダウンロードしたもので、『明治の兄弟  柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』第2章「自由党諸事件高田事件柴太一郎)」で使用した国立公文書館・公文別録に集録されている文書。

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2010年5月20日 (木)

 明治・大正の植木通信販売

  川口市は「キューポラのある町吉永小百合さんの映画でおなじみ、鋳物の町として知られているが、安行植木も全国的に有名である。それには百年以上昔から苗木の通信販売をしていた故もあるかもしれない。
 「苗木の通信販売」が明治の昔から行われ、朝鮮半島にまで広がっていたのにただ感心。ところが戦前のアジアに進出、考え方に拠っては侵出した帝国日本の歴史に触れると思いは複雑だ。
  朝鮮の人が「本当は自国に産するものがよかったのに日本の苗木を植えなければならなかった」なんていうことはなかったのだろうか。どれだけ根付いただろう。今は日本から半島へ渡った樹木に花が咲いて美味しい実がなっているといいなあと思う。
 以下は『坂の上の雲』の時代、坂の下で根を張っていた生産者の歴史ともいえる通信販売の話です。

   「安行苗木の通信販売」
 明治31(1898)年、北足立郡役所の指導で苗木商を中心に「安行苗木共同販売所」(安行植物園)が設立された。業者は吉田耕三郎(通称花屋)・中田億右衛門・犬塚清八・中村八郎・中田源七などで、共同で通信販売を行った。のち「安行苗木販売組合」。
 共同で定価表・カタログを作成し全国的に配布し販売したのである。故老の話によると、カタログには何々の植木一年生は幾ら、二年生は幾らと書かれていたという。

 明治34年には朝鮮半島との通信販売を開始、日清戦争が終って苗木がだいぶ売れるようになっていた。朝鮮にたくさん売っていた時は「京城日報」「毎日新報」に広告を出すとカタログ送れと反応があり注文がとれた。

 明治から大正にかけては通信販売が盛んで、山林苗木花木類が主だったが、野菜や花の種子まで扱った。大正初期のカタログには、果樹苗木と山林苗木(ハンの木・トネリコ・アカシヤ)が半々、他にチューリップ百合も載っていた。サツキボタンの古いカタログが残されている。

 昭和10(1935)年当時も埼玉県経済部は販売方法にカタログを第一に上げている。戦前のカタログは組合で作られた物に、各農園の名前だけ印刷してあって、値段は殆ど同じで出版されていた。
 苗木の送付方法は、全部水苔を巻いてワラで荷造り(竹の子包)して送っていた。戦後になるとビニール包装して段ボール入りに変わっていった。
                                       (『安行植木と農業ノート』より)

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2010年5月17日 (月)

安行村青酸ガス燻蒸(くんじょう)室

 春は風、大好きなケヤキの大木、葉が風にそよいでいるのを見上げているだけで気分がいい。イチョウも今は緑、シイの木は風に裏返った葉裏さえ輝いて ♪さわやか~な緑よ 豊かな緑よ~♪ 音痴を忘れて鼻歌がでる。
 大木も苗木から歳月を重ねて大きくなる。苗木は各地でそれぞれ得意のものが生産されているが、川口市安行の苗木生産は種類が豊富で知られる。植木の歴史を調べたことがあるが、その時、産地を維持する苦労が少し分かった。
 家畜に鳥インフルエンザ、口蹄疫など困った流行があるが、植物にも害虫がつくことがあり、駆除する方法の一つが燻蒸である。以下は明治・大正期の話。
(写真はカリンの花)

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                    安行村青酸ガス燻蒸室

 安行は明治期になって我が国有数の苗木生産地として知られ、国内はもとより海外へも輸出するようになった。生産が盛んになるにつれて明治34(1901)年頃、東北地方から購入した穂木と一緒に「綿虫」が移入し大被害を受けた。さらに「サンホーゼ貝殻虫」が安行地方一体に猛威を振るい、苗木生産発展の大きな障害となった。
 そのうえ生産量の増大もあって、それまでの[良質な安行苗木]という名声を落とし、
「ドイツの如きは日本苗木の輸入禁止令を発布・秋田県においては購入苗木の焼却を行う(北足立郡長報告)」という事態になった。
 明治39年、農商務省埼玉県農事試験場に補助金を交付し、安行村に青酸ガス燻蒸施設を設けた。明治41年1月から試験を実施「結果すこぶる良好」で、貝殻虫の駆除は好成績を治めた。

 大正8(1919)年、燻蒸手数料を徴収し、県外に移出するもの、県内に供給するものも、県立農事試験場で県技術員立会いの上、青酸ガス燻蒸を行って、燻蒸済みの証明書を交付、大正12年まで継続した。果樹栽培が盛んになるにつれ燻蒸室が不足して増設が計画され、大正5年、戸塚・神根村(現川口市)にも設置された。
 ちなみに大正8年の燻蒸手数料は1000立方尺室は1回1円80銭・500立方尺室は1回1円であった。

  <参考>『埼玉県の安行』『埼玉近代三百年史』『川口市史 近代資料編』

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2010年5月13日 (木)

 『桃尻語訳 枕草子』橋本治

   このごろ哲学者ニーチェの本が売れているそうだ。ニーチェ=難解というイメージだが親しみやすい翻訳をえてヒットしているそう。毎日新聞の本紹介(鈴木英生)によれば白鳥春彦編訳『超訳ニーチェの言葉』が40万部に迫るほど売れているという。
 内容はニーチェの著書から魅力的な文章を抜粋し、現代の日本人に親しみやすい言葉に例えば「死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう」といったものらしい。
 「超訳」という言葉で『桃尻語訳 枕草子』(橋本治)を読み、清少納言が身近に感じられたのを思い出した。確かな下地があるからどんなに崩しても原作者の意図がちゃんと伝わり、訳と相まっておもしろかった。「超訳ニーチェ」は未読なので古くて申し訳ないが10年前紹介した枕草子を。

『桃尻語訳 枕草子』(上 中 下)        (橋本 治  河出書房新社
  ミレニアム2000年、せっかくの千年紀みんな先を考えるでしょう。先を見通せないので「いっそ千年後戻り」これはいいと思ったところ、人の考えは似たようなもの。近ごろ『枕草子』『源氏物語』が取り上げられています。千年昔といえば
「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」藤原道長が権勢を誇った平安中期、王朝文学華やかりしころです。
 道長の兄の娘が一条天皇中宮(妃)定子清少納言はこの宮の女房でした。定子が後ろ楯を失ってから、同じ天皇の中宮になったのが道長の娘彰子紫式部はこちらで女房勤め。
 
 桃尻語訳では女房をキャリアウーマンと読みます。清少納言たちは、千年前のキャリアウーマンというわけです。そのキャリアウーマンのエッセイが有名な、しかし読みきる人が少なそうな国文学『枕草子』。それを「難しいからって避けないで、読んでね」とエッセイ『枕草子』として身近に引き寄せたのが桃尻語訳です。

春って曙よ!
だんだん白くなってく山の上の空が少し明るくなって、
紫っぽい雲が細くたなびいてんの!
  夏は夜よね! 月の頃はモチロン!
  闇夜もねェ・・・・・・。が一杯飛びかってるの。
  あと、ホントに一つか二つなんかが、ぼんやりボーッと
  光ってくのも素敵。雨なんか降るのも素敵ね。(第一段)

   「子供はねェ、ヘンテコリンな弓や長い笞みたいなもんを
  振り回して遊んでるの。すっごく可愛い。車なんか止めてさ、
  抱き入れてもみたいしさ、欲しいなあってとこもあんの」(第五十六段)

 素敵・すっごく・ホント、感じが伝わるけれど十二単に似合わない。それは若い娘のおしゃべり話し言葉だから。 [註]もこの調子。「狩衣」はスポーツウエア「普段の時に着る直衣が背広だとするんならさ、それよりもっとくだけたブルゾンジャンパーの感じね」。
イラスト付親切丁寧な註を楽しみながら、千年昔の暮し装い、雪月花歌枕、喜び畏れまた宮中の行事に呼ばれてみませんか。

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2010年5月 9日 (日)

柴五郎の母

 今日は母の日、花束をもらいました。平和な時代の母は成人した子どもから花や衣類、幼い子から肩たたき券などプレゼントをもらって笑顔いっぱいです。
  ところが今から150年昔、武士が刀を差していた時代も終わりのころ、日本はたいへんでした。とくに戊辰戦争に敗れた会津武士農民は非道い目に遭いました。そうした時代にあってはも妻も強くなければ生き抜けず、家族を守れません。

 柴五郎は男女あわせて11人兄弟の5男で母は日向氏、兄たちの母は日野氏です。兄弟の誰誰が日野氏の子で、五郎と母フジを同じくするのは誰か分かりません。ただ順からいって次男謙介(志計留)の母は日野氏でしょう。
 その謙介が戊辰戦争中、日光宇都宮方面で行方不明になりました。生さぬ仲でも子は可愛い。後で戦死と分かり、日向氏は誰よりも悲しんだのです。でも武士の母はつよくなければなりません。大ぴらに涙をみせられない母は押入のなかに供物を捧げて香花を手向け弔いました。

 戦は止まない。戦況は会津に不利になるばかり、家にいる男子は4男の四朗(のち東海散士)と5男の五郎の二人。母フジは病床にあった四朗を無理に起こして城に向かわせました。城門を前に呆然とする病の四朗を母と祖母は励まします。
「柴家の男子なるぞ。父はすでに城中にあり、急ぎ父のもとに参じて家の名を辱めるなかれ」と。
 翌日、幼い五郎は叔父に連れられ郊外の山荘に向かいます。何も知らず家を出発しました。まさかそれが今生の別れになろうとは。

 官軍が攻め寄せてくるなか、祖母、母、兄嫁、姉、妹の五人は自刃して果てました。介錯した叔父は五郎にいいました。
「母君臨終にさいして御身の保護養育を依嘱されたり。御身の悲痛もさることながら、これ武家のつねなり。嘆き悲しむにたらず。あきらめよ」
 会津ではこうした悲劇がそこ此処にあったのです。自刃しなくても一家をあげてお城に駆け込むこともできました。でも、人が増えれば食料が尽きて戦えなくなる・・・。なんという心遣い、覚悟でしょう。

 五郎の姉の一人望月氏は生き残り、乳飲み子と幼子を抱えおんぶに抱っこ、母親の苦労をします。死ぬも生きるも大変、母ともなればわが子を想いやり辛い選択をしなければなりません。
 国敗れ、自分を生かしてくれた母の愛、幼子をもつ姉の大変さは五郎少年の心に染みました。のち軍人となった五郎は、戦地での略奪、無法を決して許しませんでした。
 
 ちなみに戊辰戦争落城した会津鶴ヶ城の屋根は赤瓦だったそうです。会津若松市は、幕末当時の鶴ヶ城を復元しようと改修工事をはじめました。来春、今の黒瓦にかわる赤瓦は桜とどんなコントラストをみせるでしょうか。城に歴史有り屋根瓦一枚にも昔がしのばれます。

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2010年5月 6日 (木)

『大菩薩峠』ヒロイン

  大菩薩峠は江戸を西に距(さ)る30里・・・昔、貴き聖が、この嶺の頂に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと願って、菩薩の像を埋めておいた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹川となり・・・新宿の追分を出て武州青梅から16里、甲州裏街道一の難所たる大菩薩峠にさしかかった一個の武士、机龍之介

 年は30前後、黒の着流しで険しい道を、素足に下駄履きでサッサッと登りつめて峠の上に立つと、ゴーッと、青嵐が崩れる。そこへ坂道を登ってきたおじいさんと女の子の巡礼、龍之介はおじいさんに「あっちへ向け」声もろともにパッと血煙がたつ。何という無惨・・・この「甲源一刀流の巻」からはじまる物語は「椰子林の巻」まで角川文庫で全27巻という大長編である。

 この長い物語が好きで中学生の時に出会って以来たみに読み返す。読むたびに違う魅力発見、ヒロインのタイプもさまざまで飽きさせない。
 中高生時代は、大菩薩峠で龍之介におじいさんを惨殺された女の子、清く正しく美しく健気なお松が好きだった。
 20代では龍之介にかしづく文学少女的な乙女のお雪ちゃんをいいなあと思うようになった。
 また庭で三味線をひき座敷にも上がれないような身分から殿様お気に入りとなったきれいな君ちゃん。どんなに美しいのか見てみたい。そのお君ちゃんを守るムクは犬とはいえ確かな心をもっている。

 中年からは、自分の思いのまま生きる甲州の豪族の娘お銀様に魅力を感じる。お銀様はやけどを負わされ恐ろしい顔というが読者には見えない。財力をかけ理想郷を建設しようと伊吹山の開墾にかかるお銀様、知識教養もありスケールが大きい。

 映画やテレビの大菩薩峠は、無明の剣士机龍之介の剣さばき、殺陣などが強調されるが、それは魅力の一部でしかない。
 時は維新の大運動が展開されようとする幕末、数十人の登場人物が縦横無尽に行き交い、人間界の業相を描いていつ終わるとも知れない。実際、作者中里介山の死で未完に終わる。ところで、今は短いのが流行、ツイッターの時代にあって大長編はいかが?は無理な注文か。

 ブログも長くなってしまったがもう一言。中里介山平民社の人々と交流があり同情的であった。無理に縁づければ『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』第8章日露戦争「多数の強硬派と少数の非戦論」「大逆事件」・・・当時の介山の心境は複雑だったかも。ちなみに中井けやきの中は中里介山の中ともう一人中島敦の中をいただいた。

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2010年5月 2日 (日)

ひょっこりひょうたん島/井上ひさし

 波をちゃぷちゃぷ かきわけて 雲をすいすい おいぬいて
 ひょうたん島は どこへいく 僕らをのせて どこへいく
 まるい地球の水平線に なにかがきっと まっている
 苦しいこともあるだろさ
 悲しいこともあるだろさ
 だけど ぼくらはくじけない 泣くのはいやだ わらっちゃおう
 進め ひょっこり ひょうたん島
 ひょっこり ひょうたん島   ひょっこり ひょうたん島

 ごぞんじ先頃亡くなられた井上ひさしさんのテレビ人形劇の主題歌です。二児の母となったころ夕方の楽しみでした。はじめは食事の支度をしながら耳だけで愉しんでいたのですがいつしか、ドン・ガバチョの演説に聞き惚れテレビの前に座り込んで見てました。ひょうたん島を波に浮かべてくれたのが誰かも知らず見てましたが、井上ひさしと知ってなるほど納得でした。

 トラヒゲサンデー先生博士キッド坊やにマシンガン・ダンディ・・・みんな好き,、人間語が話せるライオンや他のみんなもね。
“泣くのはいやだ 笑っちゃお”声をだして歌うと元気が出ます。
 井上作品で“笑い”を教わるまではガチガチの文学少女だった私、当時の自分と似た人がいたら友だちにならないでしょう。そんな人つまらないもの。

 井上さんは笑いをとりながら社会批判や反戦を伝えている所がすごい。思ったことをただ伝える、それだけでも難しいのに。しかも膨大な知識がありながら「むずかしいことをやさしく ふかいことをおもしろく」て魅せてくれた作家です。
 そういう天才と同じ時代の空気を吸えてラッキーでした。でも、もうちょっと長生きして欲しかった。

 主題歌はひょうたん島だいすき伊藤悟著『ひょうたん島大漂流記』(飛鳥新社)より写しました。
 伊藤さんは5年間一日も欠かさず「ひょっこりひょうたん島」を見続けたばかりか、書き取りまでしたそうで、井上さんから「伊藤さん ありがとう」と感謝されてます。「ひょうたん島」一ファンも「完全ガイドをありがとう」感謝です。

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