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2010年5月 9日 (日)

柴五郎の母

 今日は母の日、花束をもらいました。平和な時代の母は成人した子どもから花や衣類、幼い子から肩たたき券などプレゼントをもらって笑顔いっぱいです。
  ところが今から150年昔、武士が刀を差していた時代も終わりのころ、日本はたいへんでした。とくに戊辰戦争に敗れた会津武士農民は非道い目に遭いました。そうした時代にあってはも妻も強くなければ生き抜けず、家族を守れません。

 柴五郎は男女あわせて11人兄弟の5男で母は日向氏、兄たちの母は日野氏です。兄弟の誰誰が日野氏の子で、五郎と母フジを同じくするのは誰か分かりません。ただ順からいって次男謙介(志計留)の母は日野氏でしょう。
 その謙介が戊辰戦争中、日光宇都宮方面で行方不明になりました。生さぬ仲でも子は可愛い。後で戦死と分かり、日向氏は誰よりも悲しんだのです。でも武士の母はつよくなければなりません。大ぴらに涙をみせられない母は押入のなかに供物を捧げて香花を手向け弔いました。

 戦は止まない。戦況は会津に不利になるばかり、家にいる男子は4男の四朗(のち東海散士)と5男の五郎の二人。母フジは病床にあった四朗を無理に起こして城に向かわせました。城門を前に呆然とする病の四朗を母と祖母は励まします。
「柴家の男子なるぞ。父はすでに城中にあり、急ぎ父のもとに参じて家の名を辱めるなかれ」と。
 翌日、幼い五郎は叔父に連れられ郊外の山荘に向かいます。何も知らず家を出発しました。まさかそれが今生の別れになろうとは。

 官軍が攻め寄せてくるなか、祖母、母、兄嫁、姉、妹の五人は自刃して果てました。介錯した叔父は五郎にいいました。
「母君臨終にさいして御身の保護養育を依嘱されたり。御身の悲痛もさることながら、これ武家のつねなり。嘆き悲しむにたらず。あきらめよ」
 会津ではこうした悲劇がそこ此処にあったのです。自刃しなくても一家をあげてお城に駆け込むこともできました。でも、人が増えれば食料が尽きて戦えなくなる・・・。なんという心遣い、覚悟でしょう。

 五郎の姉の一人望月氏は生き残り、乳飲み子と幼子を抱えおんぶに抱っこ、母親の苦労をします。死ぬも生きるも大変、母ともなればわが子を想いやり辛い選択をしなければなりません。
 国敗れ、自分を生かしてくれた母の愛、幼子をもつ姉の大変さは五郎少年の心に染みました。のち軍人となった五郎は、戦地での略奪、無法を決して許しませんでした。
 
 ちなみに戊辰戦争落城した会津鶴ヶ城の屋根は赤瓦だったそうです。会津若松市は、幕末当時の鶴ヶ城を復元しようと改修工事をはじめました。来春、今の黒瓦にかわる赤瓦は桜とどんなコントラストをみせるでしょうか。城に歴史有り屋根瓦一枚にも昔がしのばれます。

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