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2010年11月

2010年11月29日 (月)

唄を忘れたカナリヤは/松岡正剛

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 芸術の秋、展覧会の案内が届いた。
BMW・3人展」川鍋和子・鷹琢栄峰・安原竹夫/2010.12.4~12.14
“アートギャラリーこはく”070-5567-8729 東武野田線・大和田駅下車

 安原先生は『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』に、筆者が想う以上の深い趣のある表紙を描いてくださった。アトリエに伺って原画を前にし、
「芸術家ってこんな風に表現するんだ」「近代百年が一枚の絵で表現されてる!」。あの時の感激は忘れられない。自慢の表紙のためにも「明治の兄弟」が広まるといいなと思っている。

 展覧会案内に加えて<日本の「編集文化」を考える>「松岡正剛」のコピーが同封されていた。
 論文の出だしは、日本の童謡『金糸雀(カナリヤ)』からで、子ども心にも残酷な歌詞だなと思ったのを想い出す。果たしてそれには深い意味があったのだ。

 唄を忘れた金糸雀は 後の山に棄てましょか
 いえ いえ それはなりませぬ

 唄を忘れた金糸雀は背戸の小藪に埋けましょか
 いえ いえ それはなりませぬ
                                    (以下略)

 教育勅語の縛り、修身が投影されている小学唱歌の時代に童謡第1号として作られたのが「唄を忘れたカナリヤ」だった。西条八十が雑誌「赤い鳥」に発表、そしてそのカナリヤは「日本の面影を忘れた日本」だという。カナリヤは月夜の海で忘れた唄をおもいだすが、日本は日本の何を思いだせばいいのだろう。

 論文は「唄を忘れたカナリヤ」からはじまって、野口雨情九鬼周造の編集方法などへと展開して海軍軍縮条約「統帥権干犯~~」で終わる。読んで興味津々、いろいろ触発された。内容を紹介したいが、とてもよく纏まっているので短くできない。
 また不勉強で松岡正剛という人を知らなかったので、ネットで見てみた。するとたいへん活躍している。他にも読んでみよう。

 ちなみに安原竹夫、松岡正剛、お二人とも早稲田のご出身。自分は毎週、早稲田の近代史講座に通ってキャンパスはお馴染み、15階レストランから写した黄葉のキャンパスを写してみた。また公孫樹の根本にはギンナンがたくさん落ちている。学生さんは拾わないからエクステンション講座のおばさんたちが拾っている。

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2010年11月24日 (水)

「政党政治への道」特別展/憲政記念館

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   国会議事堂の近くに衆議院憲政記念館がある。そこで折々展覧会があり種々、ナマの史資料の展示があり興味深い。今回は「政党政治への道―――議会開幕から本格的政党内閣誕生へ―――特別展」さっそく見に行った。

 議事堂の周り、警備人数がいつにもまして多い。お巡りさんも日本が心配?じゃなく国会開会中だものね。国会図書館前で、誰何された。
 イチョウの黄葉が見事で仰ぎ見たり、臭いで銀杏があると知り俯いて探したり、そして携帯でパチリ、パチリ。リュッックおばさん、怪しい?

 展示は「原敬日記」の原本、「日英同盟協約」(正本)、伊藤博文らの書簡、かと思うと旅順(水師営)の岩石があったり幅広い。文学と芸術のコーナーでは「長谷川辰之助(二葉亭四迷がロシアに行く)渡露旅券」が目を引いた。

 そしてこの時代は日清・日露の戦争の時代でもあったから、またNHKが『坂の上の雲』を放映中だから?秋山兄弟と子規に関連した展示もある。

 ○ 正岡子規履歴書:子規は従軍記者として清国に渡ったが、大本営に提出した従軍願に添付されたもの。
 ○ 秋山好古書状、騎馬像、結婚願ほか。
 ○ 秋山真之正装帽子、キューバ島サンチャゴ湾の観戦報告、**日本海海戦電報など。

 ** 連合艦隊作戦参謀の秋山真之は七十三隻の哨戒艦艇により敵を探し求めていた。五月二十七日、沖ノ島付近でバルチック艦隊と遭遇、

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ連合艦隊ハ直ちに出動コレヲ撃滅セントス 本日天気晴朗ナレドモ波高シ」と大本営に打電した。いよいよ日本海海戦がはじまる。東郷司令長官は全艦隊に

「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ各員一層奮励努力セヨ」と信号を掲げた。
 北東に進むバルチック艦隊と南西に進む連合艦隊。このまま進めばすれ違いざまに戦闘となるが、連合艦隊は敵方の射程距離内に入ったところで急転回した。いわゆる「敵前大回頭」「T字戦法」である。

(『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』p440バルチック艦隊~より)

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2010年11月21日 (日)

智恵子は東京には空が無いといふ/高村光太郎

 新宿駅近く都庁方面の交差点にたって信号待ち、どこを向いてもビルばかり。ビルは高かったり低かったり、中にはしゃれた外観のもあるけど、ビルの谷間の空は四角い。
 青信号になって横断歩道を渡りながら「東京の空は四角い」というフレーズが浮かんだ。渡りきったところで「智恵子抄」の一節を想い出した。
 ビルだらけの直線的な街頭で昔読んだ詩を想ったのは、並木が黄葉してるからかな。それより連れ合いが体調を崩しているからか。
     ~~~~~~~~~~~~~~~

     あどけない話

 智恵子は東京には空が無いといふ、
 ほんとの空が見たいといふ。
 私は驚いて空を見る。
 桜若葉の間に在るのは、Photo_4
 切つてもきれない
 むかしなじみのきれいな空だ。
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ。
 智恵子は遠くを見ながら言ふ、
 阿多多羅山の上に、
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だといふ。
 あどけない空の話である。
               

      日清戦争

 おじいさんは拳固を二つこしらえて
 鼻のあたまに重ねてみせた。
 ――これさまにちげえねえ。――
 原田重吉玄武門破りの話である。
 ――古峰が原のこれさまが
 夜でも昼でも往つたり来たり、
 みんな禁廷さまのおためだ。
 ありがてえな、光公。――
 わたしはいつでも夜になると、
 そつと聞耳を立てて身ぶるひした。
 たしかに屋根の上の方に音がする。
 羽ばたきの音が。
            *禁廷様:天皇の敬語。

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2010年11月17日 (水)

日本映画大学/『映画の真実』

   専門学校「日本映画学校」が来年4月、国内初の映画単科大学として川崎市に誕生、初代学長に佐藤忠男さんが就くという。(毎日新聞“ひと”2010.11.17)。

 映画は子どものころから好きだった。東映の新諸国物語「笛吹童子」や「ゴジラ」などを見た。やがて洋画を見るようになって、アラン・ドロンアンソニー・パーキンスにうっとり。リバイバルで、ジェラール・フイリップをみて素敵だと思った。
 結婚して子育てが終わると、盆暮に夫婦で寅さん映画を楽しみ、時には友人と岩波ホールで洋画「八月の鯨」をみたりした。それらやジェームス・ディーン理由無き反抗」等、だいぶ昔だが忘れられない。
 今もたまには夫婦で映画館に足を運ぶが、テレビでも見る。ついこの間見たような気がする「チェンジリング」を映画チャンネルで放映していて、はやいなと思った。

 テレビやDVDで再度みると、映画館では見逃していたことに気づいたりするから、これはこれでいい。でも、やっぱり映画は映画館で見た方が記憶に残るような気がする。
 『映画の真実』(佐藤忠男・中公新書)を読んでなおそう思った。著者は
「映画は森羅万象を扱うから人間や社会に無関心な人には向かない」というが同感である。

 それにしても映画は何を映しているだろう。何事も美化して描いているかも知れない。
「たとえばアジア映画を観て、アジアの現実がわかるだろうか。映画に描かれた世界は美化されているのでわからないと批判するのは簡単だ。しかし美化された理想に共感しながら見るのも楽しみ方の一つだ」
 『映画の真実』はこのように、文化の多様性を表す映画を語りながら、日本内外の映画入門として読者をひきつける。さて、どこの映画館へ行って何を見ようか。

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2010年11月13日 (土)

『明治人のお葬式』広瀬武夫

 当たり前だけど明治は江戸時代の続き、風俗習慣ことに葬式など多くは伝統のやり方で取り仕切られただろう。しかし時代は替わり変化があった。
 『明治人のお葬式』(此経啓助・現代書館)によると、それまでの仏葬式に替わり、神道国教化政策をとる維新政府は布告をだして神葬式を強要した。

 神葬式の実施に際してはなじみがないので苦心があった模様。そのエピソードはNHK「龍馬伝」に出てくる山内容堂”殿様の葬送に芸者や役者が参列”に描かれている。

 取り上げられた人物は、その土佐の殿様からはじまって木戸孝允大久保利通岩倉具視勝海舟など明治の元勲から樋口一葉福沢諭吉二葉亭四迷正岡子規ほか、そして夏目漱石まで多彩だ。
 葬儀の規模は岩崎弥太郎の“大葬儀に雇ったアルバイト七万人”から、石川啄木の“葬列も出せない貧窮の中の淋しい葬式”まで落差が激しい。

 誰を抜き出してみようか考えていたらNHK「坂の上の雲」が又始まるそうで番組宣伝を兼ねて撮影現場が放送されていた。
 広瀬武夫、知る人ぞ知る「杉野はいずこ」、日露戦争の撮影現場もあった。広瀬の葬儀には“雲霞のごとき見物人が軍神を見送った”という。

 日露戦争:ロシアが中国満州の独占支配と韓国進出を図り、日本と利害が対立。1904明治37年2月開戦―――以下「明治の兄弟」より

 連合艦隊旅順口閉塞作戦を実施したが失敗、以後第二回、三回と実施するも、暴風雨とロシア側の攻撃により失敗に終わった。この第二回作戦指揮官の一人、広瀬武夫少佐は部下の杉野上等兵曹の身を案じながら壮烈な戦士をとげ軍神と称えられることになった。

 四月、東郷艦隊は閉塞作戦と併行して機雷を敷設、旅順港外へロシア艦隊をさそい出して攻撃した。ロシア戦艦は慌てて港内に逃れようとして機雷にふれ海底に沈んだ。ロシア艦隊の司令長官マカロフ中将が戦死したが、完全な封鎖には至らなかった。

 このころロシアがバルチック艦隊の派遣を決定したと知った日本海軍は、旅順のロシア艦隊をいかに早く撃破すべきか頭を悩ませることになった―――続きはご存じ『坂の上の雲』秋山真之の活躍をどうぞ。

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2010年11月 9日 (火)

『世界盲人列伝』とヘレン・ケラー

 東京ヘレン・ケラー協会 60周年記念チャリティー「ハッピー60thコンサート」2011.1.23(第一生命ホール)
 ヘレン・ケラー記念音楽コンクール出身の一流アーティストと韓国からのゲストを迎えてのコンサートはきっと、素敵な心に響くものになるでしょう。このお知らせを見て、東海散士柴四朗が大正時代に早くも『世界盲人列伝』中でヘレン・ケラーを取り上げていたのを思い出した。
 以下『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』(第4章・柴四朗逝く)より引用。
 

 このころ柴四朗は、これまで世界中から集めた数百名の盲人の伝記から295人を選び出し「世界盲人列伝」の原稿を書いていた。編著の動機は、
「失明という不幸にも拘わらず詩文や音楽、学問に傑出した人物が多いのに伝記が散逸していて残念である。そこで自ら著した伝記が読者の心に届き志をたて、また不幸にして失明した人の慰め、自分から努力し励もうとする助けになればよい」という志からであった。
 とりあげたのは、
神瞽(こ)伝。神瞽は楽聖なり」と中国周代からはじまり、欧米・中国・韓国もちろん日本もで最後の「ヘレンクラー女史伝」まで幅広い。ヘレン・ケラーが来日する30余年前すでに
「空前絶後の人とはこの人ならんか。ケラーは一流の婦人記者、思索家、教育家」と讃えている。
 巻末に石川兼六『本朝瞽人伝』著者が跋を寄せているが、四朗は検校などの伝記を探しに盲唖学校を訪ねて石川と面談した。そのさい、
「瞽人伝の続編の計画があるようだが自分(四朗)の原稿が役立つなら、喜んで提供する」と申し出た。志を同じくする者同士と助けになればよいと思ったのだろう。

 この「世界盲人列伝」はあまり知られていないようだ。筆者が閲覧したのは国会図書館蔵で養子柴守明が1913(昭和7)年に再刊したものである。(参考までに国会図書館・請求記号610-167)

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2010年11月 4日 (木)

『手紙屋・蛍雪篇』&『寅さんの教育論』

 人に勧められて『手紙屋・蛍雪篇』(喜多川泰/ディスカバー・トゥエンティワン)を読んだ。この本は勉強して少しでもいい大学に入るといい人生が待っているよと言ってる。親や先生からしたら良い本だと思う。もちろん受験生にもね。いいこと書いてるなあと思うが、自分には響いてこない。何でだろうと考えてみた。
 きっと、自分は何でもかんでも大学に行かなくても良いと思ってるからかも知れない。どちらかと言えば勉強は好きな方で、40代で通信制大学に入り4年で卒業した。行きたくて行った大学だから勉強は苦にならず、苦手な英語も必死で単位を取った。卒論のため史資料を漁るうち学問はこうしてするのかと楽しいくらいだったほどだけれど。

 ところで『手紙屋』さんは世間一般でなく、受験生に向けて便りを出しているような気がする。勉強しなくちゃいけないのに「かったるいなあ」と怠けてる人に、いい会社にらないといい暮らしができないと現実を教える。

 裕福とはいえなくも幸せな生活でいいと思う自分には『寅さんの教育論』(山田洋次岩波ブックレット)が向いている。
 「寅さん」と「蛍雪」を並べるのはどうかと思わないでもない。学ぶもの、勉強のやり方や対象が異なる。でも、寅さん唄う「奮闘努力の甲斐もないく」が身につまされる者としては、寅さんの教育論に頷いてしまう。それを全部書き写す訳にもいかないので目次と本文を少し抜き出しておく。

―――少年寅さんは落ちこぼれだった/寅さんを育てたもの/寅さんのやさしさ/映画はみんなでつくる/映画づくりと子どもの遊び/映画作りと人間教育/寅さんの学校批判/「奮闘努力」の家庭教育―――

 ・・・・・・子どもが自信をつけるということは、自分の意志で行動し、ぶつかって失敗したりしながら、そこを乗り越えたときにつかんでいくわけでしょう。子どもは、いつも大きな壁や溝にぶつかれるような育ち方をしなきゃいけなくて、しかし同時に、ぶつかって、転がり落ちそうになったら、必ず親が助けてくれるんだ、という安心感も持っていなきゃいけないのでは・・・・・・
 そのぶつかって傷をうけたり、考え込んだりする体験を、親や教師から奪われてしまっているから、今の若者を見ていると、体ごと人生や社会にぶつかっていくというエネルギーがなくなってきているのではないか・・・・・・  

 見守り育てる余裕がない世の中になってしまった。だから「手紙屋」さんがはやるのでしょうか。ちなみに『手紙屋・蛍雪篇』は就職活動中の若者にあてた『手紙屋』の続編である。

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