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2012年1月25日 (水)

『佳人之奇遇』と高橋太華(福島・二本松藩) 

 夏目漱石や森鴎外の現代語訳がだされる現代、120年前の政治小説『佳人之奇遇』を読むのはたいへん。しかし明治青年には漢文調のリズムがうけて愛唱された。読者に南方熊楠・寺田寅彦・幸田露伴・秋山真之・堺利彦・山川均・幸徳秋水などなど幅広い。
 『佳人之奇遇』は著者・東海散士(柴四朗)が海外体験(アメリカ留学、ヨーロッパ巡回)、しっかりした観察眼による見聞、それを確実な知識とした地理歴史など三百冊近い洋書の蔵書(会津若松図書館蔵)、アイルランドやスペインなど各国の歴史を踏まえた上で「押し寄せる欧米帝国主義列強を前に日本の将来を案じて」描いた明治の大ベストセラーである。

 好評『佳人之奇遇』は批評の格好の材料となり批判もされた。高田早苗は東京専門学校(早稲田大学)「中央学術雑誌」で西洋風の批評を試み、坪内逍遥の「当世書生気質」に続いて「佳人之奇遇」を嫌みたっぷり「学士や政治家が戯れに小説を編もうとするには抱腹の限りだ」などと批判。しかし好意的な評が多い。以下は中村光夫「政治小説の季節」から。

 「佳人之奇遇が世界各国の風俗、政治事情などについて、かなり生きのよい知識を羅列していたことは当時の読者を喜ばせたに違いない。当時の欧米人が日本、あるいは東洋にたいしてもっていた蔑視の念は、今日では想像もつかぬほどで、現在もないとは言えないかもしれない。
 ところが日本側では、こういう外人の差別に現実に接しながら、それをあまり感じない、ただ物珍しさの程度が内地と違うという感覚もあった。海外へ行った者も、誰しも感じたはずの白人の蔑視には触れない。政府はその「文明」を摂取して、西洋に重んじられる国家を作り上げる計画をたてた。それがはっきり現れたのが鹿鳴館時代であった。
 「佳人之奇遇」第一編が発表された明治十八年はまさにこの時代で、鹿鳴館的な風潮を否定する意図のもとに書かれたのである。ただ、一方においてこの風潮を利用している。日本の青年紳士が白人の美人と出会い、すぐ深い友情で結ばれると言う設定は、はなはだ鹿鳴館的で、日本の読者だけが受入れることのできる空想であり、求められるものである。
 そして主要な人物はみな亡国の民といってよい人物で、彼らの革命の志は、帝国主義の支配する十九世紀後半の西欧による世界支配に反省と抗議を形作っている。不利な立場におかれた民族を憤らせずにはおかないのである。友情が憤怒に支えられて展開して行くところに、この物語の現実性がある」。

 佳人之奇遇が大ベストセラーになるにつれ実は、という話がでてきた。たとえば「作者は高橋太華とか西村天囚」というもの。文芸春秋・薄井恭一稿本『佳人之奇遇』との奇遇」によれば、
「古書店から買った『佳人之奇遇』の原稿を松雲堂の野田文之助老に見せたら、この部分は柴四朗の筆であろう。この評語は高橋太華の筆であろうなどと話してくれた」という。
 太華は漢文にすぐれ文章に手を入れているが、それで作者だとは言えない。当時
「漢文学者の常として文詩ともに先輩または同輩に批正を乞うのはその完全を期する所以でむしろ美風というべきものである」という考え方があった。それからすれば、「之をもって代作なりと評するは讒誣(ざんぶ)も亦甚だしいと言わねばならない」(秋村居士)のである。

 そしてまた「作者は東海散士ではない説」にかなり影響を与えたのが幸田露伴の弟、幸田成友である。自伝『凡人の半生』、次の一節が一人歩きしたらしい。
 「高橋太華氏は表面には出られぬが、裏面では色々な仕事をなされた。佳人之奇遇という漢文調の小説は木版の半紙本、挿絵は石版摺で、取材の範園甚だ広く、一時自分達青年の血を湧かしたもので、東海散士柴四朗作とあるが、実は太華氏の作といふことである。もっとも自分が噂に聞いただけで、証拠を握っている訳ではない」

 (高橋太華の来歴、著述など『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』に記述あり)

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