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2012年4月17日 (火)

猪苗代水力電気株式会社(福島県)

 100年前の『東京社会字彙』(1903大正2年)には明治・大正の人、学校、事業から東京の古戦場(一木原/今の赤坂)まであり、“東北”を探してみたら「猪苗代水力電気株式会社」(麹町区有楽町一ノ一)があった。

 猪苗代水力電気株式会社: 明治四四年十月設立に係る、総株数四十二万株にして資本金二千百万円内五百二十五万円を払い込む、最近年五歩の配当をなせり。社長千石貢、専務取締役白石直治、取締役宮川良平外六名、監査役朝田又七外二名の諸氏とす。

 猪苗代の地名から福島県人が主と思ったが、社長・専務とも高知出身、監査役は愛知、宮川は豊川良平の間違いではないか、そうなら彼も高知である。
  社長の千石貢(1857安政4~1931昭和6)、父は土佐藩士。東大卒。工部省、欧米視察、逓信省、鉄道局と鉄道の発展につくし実業界に入る。
 筑豊、九州鉄道各社長、猪苗代水力電気、日本窒素肥料などの重役になり財をなす。高知から衆議院議員に当選、第7代土木学会会長、鉄道大臣(雷大臣と)、南満州鉄道総裁として大陸経営にあたった。

  専務の白石直治(1857安政4~1919大正8)も東大卒、アメリカ留学。鉄道、橋梁会社、ベルリン工業大学、帰国後東大教授。
のち民間へ、関西鉄道、猪苗代水力電氣、北九州・若松築港に関与、高知県から衆議院議員に当選、第5代土木学会会長就任するも3ヶ月で死亡。 ちなみに次の会長、廣井勇(1862文久2~1928昭和3)も土佐。札幌農学校卒、開拓使、工部省をへて日本鉄道会社に入り東北線建設にあたった。

 社長ほか監査朝田又七も横浜船渠(ドック)社長、貴族院議員と、ここまで福島県人を見ない。どうして?と思ったら、電源開発は富国強兵の観点からも重要政策として促進された一大事業。地方でまかなえる規模ではなかったのだ。

 猪苗代水力電気会社設立の1911明治44年、電気事業法が施行されると、電気事業者の公益性が確立。同時に発電用水利権土地立入権山林伐採権などあらゆる権利が保障された。
 これによりすでに営業中の電灯会社、火力発電所など各地の電力会社は、競って大規模な水力発電所の建設を行った(日本発送電/ウィキペデアwikipedea――出典『会社四季報昭和26年第2集』p56)。

――― 今はやりのIPP(民間発電事業)ともいうべき事業にも久彌は情熱を注いだ。東京電灯会社への売電を目的として、猪苗代水力電気株式会社を設立、全体設計を三菱神戸造船所電機工場のエンジニアが担当した。水車はスエーデン製、発電機はイギリス製、変電設備はアメリカ製
(mitsubishi.com 岩崎久彌物語)。
 1914(大正3)年、猪苗代水力電気は福島県猪苗代第一発電所から東京都北区田端まで約225km区間におよぶ長距離高圧送電に成功した。

 明治・大正の昔から東京は福島から送られた電気で暮らしているのだ。今現在、自分たちは使ってない電気を東京圏へ送電する原発での大事故により、故郷に住めない福島県人が多くいる。何をどうしてよいか、せめて忘れず思い遣らなければ。
 ブログ紹介。一つはその思いに共感、一つは発電所写真が参考に。

「つぶやき古道(こみち)」
http://iwasironokuni.cocolog-nifty.com/komiti/2011/03/post.html
“大正4年、福島県の猪苗代湖から始まった”

エレクトリカル・パレード(28)」
http://island.geocities.jp/mayob_e_parade/ep28.html
 福島県は東北電力の営業エリアですが、猪苗代湖周辺や会津地域には東京電力の水力発電所が 15ヶ所あり、会津若松市にある東京電力の電力所が管理・保守。 

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