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2012年4月21日 (土)

日清戦争と瓜生岩(福島県)

 “国際貢献 緒方氏の功績たたえる”(毎日新聞)を読んだ。
 国連高等弁務官を務め、今年3月末で国際協力機構(JICA)理事長を退任された緒方貞子氏を記念する式典が開かれたというもの。緒方さんの活躍を知ってからずっと尊敬している。人間的にも女性としても素敵だなあとミーハー的憧れも。

 現代はまだ十分とは言えないまでも緒方さんのように公の場で活躍する女性がいるし、女性作家をわざわざ女流作家と呼んだりもしない。しかし昔をふり返ると、明治・大正といった近い時代でも、女性が活躍する場は限られ狭かった。
 試しに各県史の索引から女性を探してみると、なかなか見当たらない。才能ある女子が居なかったとは思えない。前に出られなかったのだ。それでも行動をおこし名を残す女性はいた。
 たとえば幕末・明治期の社会事業家、瓜生 岩1829~27(文政12~明治30)もその一人。銅像が東京浅草、雷門から仲見世を観音様に向かう途中にあり、見たことがある。

 日清戦争がはじまると(1894明治27)、福島県熱塩村の瓜生岩は上京して、サツマイモ水飴を作って売り、その利益を傷病兵救助の資金にした。
 岩はすでに明治初期に東京深川の救養会所を視察し救済事業について実習。帰郷して福島県内に育児院済世病院を創設するなど社会に尽くしていた。明治も半ばを過ぎて瓜生のような女性社会事業家がでてきたのだ。

 その他、『小公子』の訳で知られる若松賤子1864~96(福島県・夫は岩本善治)、樋口一葉1872~96(明治5~29)など女流作家も登場してきた。
 一葉が「たけくらべ」を発表したのは日清戦争の終わり頃でまだ戦いは続いていた。女性が作家として自立するのが難しい時代、一葉は男性社会の文壇へ出た。幸田露伴などの作家たち、世間にもやっと認められるようになった。しかし、病のため短い生涯を閉じた。まだまだ女性が自立して生き抜くのはたいへんな時代だったのだ。
                        (『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』より)

 ちなみに、瓜生岩の銅像制作は「有栖川宮像」などでも知られる大熊氏広、建設委員長は渋沢栄一。大熊作品のひな型や展示を出身地の川口市鳩ヶ谷郷土資料館で見ることができる。
 当ブログ200912.04、[大村益次郎像制作者・大熊氏広略伝]。

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