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2012年6月13日 (水)

神のような人、秋月悌次郎(福島県会津・熊本)

 幕末、いきなり動乱がはじまった訳ではないから、各藩には江戸の昌平黌(幕府の昌平坂学問所)を目指す者がいた。入るのも難しい昌平黌で会津藩・秋月悌次郎(韋軒)は「舎長」を務めた。そこには会津の友人南摩羽峰岡鹿門(当ブログ「幕末の大阪で塾を開いた漢学者・仙台藩」2011.5.21)、のち天誅組の総裁として戦死の松本奎堂らの姿もあった。

 それから10年余、秋月は京都守護職となった藩主の命をうけ会津藩公用方として、1863文久3年攘夷をめぐり、公武合体派尊皇攘夷派が京を舞台に暗闘を繰広げる京に赴いた。
 ある日、公用方が同居するその宿所に、薩摩藩士高崎猪(佐)太郎井上弥八郎が来、広沢富次郎柴太一郎手代木直右衛門らも加えて密議、「武力で長州藩士を京都から追放する態勢をとったうえで、一気に攘夷派公卿の一掃」をはかることにした。

 薩摩と会津は内勅を得ると人数を繰出し御所と九門を固めた。長州藩が御所に詰めかけると、市民は「すわ戦争」と郊外へ逃げ出した。公卿屋敷も避難がはじまり、婦女子は「荷物を背負い裸足のまま」御所を出ていった。「八月十八日の政変」である。
 会津・薩摩両藩を中心とする公武合体派が、長州を中心とする尊攘派を京都から追放、長州藩は追い落され、三条実美ら公家七人は都落ち。ところが公武合体派の勢力は長く続かず、会津は長州から「会津は正面の敵」とされる始末。

Photo  時勢は転変、戊辰戦争がはじまる。秋月は、会津藩の中心となり戦うが敗れ、熊本藩に修身禁固となる。しかし1872明治5年特赦となり左院議官、太政官出仕をへて、のち東大、第一高等学校、熊本第五高等学校の教師となる。
 五高の同僚ラフカディオ・ハーンから「まことに神様のような人」と讃えられている。そのゆくたては『秋月悌次郎 老日本の面影』(松本健一 辺境社)にくわしい。同時期、夏目漱石も英語を教えていた。漱石とくれば寺田寅彦が・・・・と人の輪が広がるがきりがないので、話を秋月に戻す。
 秋月は賊軍となったとはいえ明治期に活躍していない感じだが、松本著述を読み「そうなのか」。また人情の機微は難しいとも思った。
―――戊辰戦争も終盤、猪苗代口から若松城に迫った板垣退助に降服の議を申し入れたのが、秋月と手代木の二人だった。誰かがしなければならない役をしたのだけれども、白虎隊など会津の華と考える会津人からよく思われなかったらしい。
写真の文書は近代デジタルライブラリーから。

 廻り合わせが悪かったのか分からないが、功なり名遂げた有名人物より秋月のような人物に惹かれるものがある。秋月悌次郎を思う人は他にもいて、『会津藩儒将 秋月韋軒伝』(徳田武 勉誠出版)がある。この徳田著と前出の松本著とは雰囲気が違うが、それぞれ興味深い。
 徳田著は、秋月の学歴、経歴が詳しく、岡鹿門、高崎佐太郎らのエピソードもある。また、詩文の現代語訳がありがたい。
 

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