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2012年11月 3日 (土)

文化勲章と断層発見物理学者・ローマ字論者、田中舘愛橘(岩手県)

 今年の文化勲章は6人、なかに山田洋次映画監督の名があり寅さん映画ファンとしてはうれしい。また、ノーベル医学生理学賞・山中伸弥教授のiPS細胞は難しくて理解できないが新しい薬剤や治療に役立つ研究というから希望が湧いてくる。そのうえ謙虚で爽やかな人柄が感じられ自然に頭が下がる。さぞ、協力者が多いでしょう。

 1937昭和12年2月制定された文化勲章。文化の発達に勲績卓絶な者に天皇が授与。等級はなく、称号制度との結びつきはなく年金も伴なわない。はじめは毎年でなく1948昭和23年以後、毎年11月3日(文化の日)に授与されるようになった。
 1937.4.28第1回9人。1940.11.10第2回4人、1943.4.29第3回7人。第4回は1944.4.29田中舘愛橘(地球物理学・航空学)等6人であるが、この年昭和19年は戦争さなか
―――1.7大本営インパール作戦認可、3.8作戦開始、10.9神風特攻隊編成、11.24B29東京初空襲、そして12.19大本営レイテ地上決戦方針を放棄へと至。ちなみに、第5回は終戦翌年の2月岩波茂雄(出版)等6人。

 文化の日。物理学者の田中舘愛橘(たなかだてあいきつ)を選んでみた。幕末生まれは、福澤諭吉のような洋学者でもまず漢学を身につけ、語学を学び専門の分野に進んでいるが、田中舘も同様である。それで経歴に興味をもったのと、エピソードにひかれた。
 田中舘愛橘:1856安政3~1952昭和27年。明治・大正・昭和期の物理学者。
 父は南部藩士。8歳で武芸、11歳で盛岡藩校入学、さらに恒徳の塾で漢学を修めた。やがて一家をあげて上京、慶應義塾に入って英学を学ぶ。
 1876明治9年東京開成学校、1878明治11年東京大学本科。ここで専門を決定するとき、当時の学生は天下を治めてやろうという意気込みの者が多かったが、田中舘はそういう空気の中で、

―――西洋の修身治国を説いたものが在来の孔孟の教えに優ると思われるものがない。これに反して理科の方面は大いに学びたいものがある。それで理科の根本である物理学を修めて大いにわが国家の欠を補いたいと感じ願書を出すことに。すると友人が
「物理や天文を専修してどうして飯が食えるか?」田中舘はそれに答えて
「飯は茶碗と箸で食べます」

 東大理学部在学中は菊池大麓山川健次郎に師事、メンデンホール地球物理学を学び富士山頂の重力測定を手伝った。以後、日本各地、朝鮮南半の重力測定をした。 
 1882明治15年理学部を卒業して准教授、翌年東京大学助教授。その後イギリス・グラスゴー大学、ドイツ・ベルリン大学で学び帰国後、帝国大学理科大学教授となる。

 1891明治24年発生の濃尾大地震で震源地の岐阜・根尾谷の断層を発見、調査。この経験を元に地震研究の必要性を訴える。
 1910明治43年航空事業視察のためヨーロッパへ派遣される。この年ローマ字新聞を創刊。英語の発音に即したヘボン式の表記法対、日本式ローマ字の普及に努めた。

 田中舘の授業は「ぎょうぎょうしく俺は教えてやるぞというような態度ではなく、笑いながらひょいひょいと教えが出てくる。天衣無縫の人徳をしからしめる」風だったという。
 彼はまた、外国に行っても非常に無邪気で、宴会の席でもいくらブロークンなフランス語だろうが、ドイツ語だろうが、そういうことは頓着なく臆面もなくやるものだから外国婦人がとても歓迎したという。
 1916大正5年還暦祝いの会合で退職を希望し60歳定年制のきっかけになる。田中舘には多数の学術書があるが、ほかに随筆『葛の根』がある

 参考:『図説 教育人物事典』(ぎょうせい)・フリー百科事典Wikipedia・『コンサイス日本人名事典』三省堂(田中舘愛橘の項、第1回の文化勲章受賞とあるが第4回の誤りかと)。

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