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2015年1月17日 (土)

明治の仙台、新聞のはじめと発行人(宮城県)

 この世界から戦争は無くならないし残酷な大事件が後をたたず、知らずにいたいニュースがありすぎる。週一利用している日比谷線八丁堀駅、20年前に地下鉄サリン事件が起きた。発生直後の交信記録、後遺症に苦しむ人たちのニュース(毎日2015.1.15)は今だにぞっとさせられる。暗いニュースが続くとこの先どうなるのか不安にかられるが新聞から目が離せない。インターネットやテレビがあっても紙の新聞がいい。
 その新聞、今は毎日読めるが始まりは日刊どころか発行、維持経営が大変だった。地方では尚更と思う。例えば、東北仙台の新聞発行のはじまりを見てみる。改題を繰り返す新聞を系統で色分け。

      仙台と新聞

 1873明治6年4月3日、仙台で初めて木字活版を用いた「宮城新聞」が大町4丁目の知新社により発行された。メンバーは宮城県士族・太田有孚(ゆうふ)、山岸譲木村一知(かずとも)、横沢浄矢吹董ほか。
 同年6月5日、県内2番目の題号「官許東北新聞」(東北新聞)が創刊された。
  木字活版で官報と一般記事を載せ、美濃紙四つ折りの冊子型で値段は一部2銭5厘、不定期刊行。
  宮城県士族・須田平左衛門水科禎吉ほか藩校・養賢堂の傍らを借りて印刷していたが相愛社を組織、二日町表小路の角に社をおいて4号活字を用い機械で「東北新聞」を発行。

 1875明治8年、新聞紙条例発布。
     処罰の禁獄の刑、はじめ自宅禁錮だったが翌9年より監獄入りとなった。新聞の改題は経営よりも次にみるように新聞紙条例のほうが大きいようだ。

 1877明治10年2月、東北新聞を「仙台新聞」と改題、4ページだての隔日刊にする。
   社長・須田平左衛門は激しい民権論を展開して弾圧を受ける。獄につながれた須田は5月25日獄中で自刃、翌26日没(病死という話もある)38歳。須田は雄弁で政談演説会を開いたり第七十七銀行の創立を図るなど先覚者であった。

   主筆・高橋真卿は水戸藩士の子で号を羽皐。「甲府日日新聞」をふりだしに「茨城新聞」「宮城日報」「仙台日日新聞」などの主筆をつとめた。
 ちなみに新聞紙条例により「仙台日日新聞」で禁獄1ヶ月、その前の明治10年1月「甲府日日新聞」で禁獄50日の処罰を受ける(『筆禍史』宮武外骨)。
 *福島事件で交友が多く連座するのをみて、上京後、戯作者に転じる。1885明治18年、東京感化院(錦華学院)を創設した。1924大正13年死去。
 *福島事件: 1882明治15年福島でおきた自由党員・農民弾圧事件。

Photo 1878明治11年1月、「仙台新聞」を「仙台日日新聞」と改題、県下初の日刊紙となる。東京や近県に販売店を拡張。
 1880明治13年5月、播磨屋久治、禁獄1ヶ月となる。同年、「陸羽日日新聞」、16年「奥羽日日新聞」と改題を重ね、福島事件後の自由民権派の退潮のなかで県下発行部数第一となる。
 1903明治36年1月、「奥羽新聞」と改題するが、後発の「東北新聞」や「河北新報」(一力健治郞)に押されて経営不振に陥り、翌年廃刊した。

 
 1879明治12年、「宮城日報」が創刊される。1880明治13年4月、岡島新次郞禁獄1ヶ月に処罰される。同年11月、「福島毎日新聞」と合併して「仙台福島毎日新聞」と改題。14年7月さらに「仙台絵入新聞」と改題する。

 1889明治22年市制実施当時あった仙台市の新聞は、「奥羽日々新聞」「東北朝日新聞」「民報東北毎日新聞のち仙台新報」の三紙。
 1892明治25年、「東北新聞」「東北日報」「自由新聞」が発行され、「東北毎日新聞」など廃刊。
 1897明治30年、「河北新報」創刊。(当ブログ2014.6.14<明治・大正、屈指の地方史を築き上げた一力健治郞>)
   結局、「東北新聞」と「河北新報」が残り互いに競争。やがて日露戦争となり戦況速報にしのぎを削った。

 1910明治43年5月、「東北新聞」は松田常吉社長の死去により廃刊となり、残った「河北新報」の独占時代となる。

 1916大正5年の仙台市内の日刊新聞は、「河北新報」(東三番丁)「仙台日々新聞」(大町五丁目新丁)「東華新聞」(木町末無)の3社があり、いずれも政党政派の機関を標榜していない。
―――「河北新報」はまさに智者である、「仙台日々新聞」は仁者の風を存し、「東華新聞」は勇者であろうとある(『仙台繁昌記』)

   参考: 『仙台繁昌記』富田広重1916トの字屋/ 『明治時代史大辞典』2012吉川弘文館/ 『仙台藩人物誌』1908宮城県編/ 『明治時代の新聞と雑誌』西田長寿1961至文堂/ 『コンサイス日本人名辞典』三省堂

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