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2015年5月 2日 (土)

宮沢賢治の母校、盛岡高等農林学校(岩手県)

 以前、『校歌ローマンス』を参考にしたときページを繰っていたら、盛岡高等農林学校(岩手大学農学部)があった。なんとなく校名に覚えがあると思ったら、それもそのはず、宮沢賢治の母校だった。その、農学校の建物は「岩手大学農学部付属農業教育資料館」として、賢治在学中の資料などが展示されているという。校歌歌詞を末尾に掲載。
 いま春真っ盛り、あちこちで「観光にいらっしゃい、来て下さい」とパンフレットが配られている。賢治ゆかりの観光案内も目に入る。 <イーハトーブいわて物語> <今年も響くよ銀河の汽笛・桜の下、釜石線SL>、JR釜石線の前身「岩手軽便鉄道」は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルとされている。ところで、賢治が学び、教師も勤めた盛岡高等農林学校はどんな学校で、その時代はどんな社会だったのだろう。順に見てみる。

      明治期
 
 1902明治35年、日英同盟協約、ロンドンで調印。同年3月、盛岡市上田の高燥閑静の地に盛岡高等農林学校創立。同時に広島高等師範学校神戸高等商業学校京都工芸高等学校も設立された。

 1903明治36年、授業開始。校地90,850余坪。のち岩手郡御明神村経済農場演習林滝沢村に演習林を有し本邦農林学校中最古を誇り諸藩の設備充実。農学農芸化学林学獣医学科(いずれも修業年限3年)の4部に分かれ、別に農学実習科(修業年限1年)。
 1904明治37年、日露戦争はじまる。
 1906明治39年4月26日、第1回得業証書授与式(卒業式)挙行。
 1908明治41年、開校5周年記念式に皇太子行啓。

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      大正期

 1914大正3年、原敬、政友会総裁に就任。ドイツに宣戦布告、第一次世界大戦に参戦。
 1915大正4年、宮沢賢治、20歳で盛岡高等農林学校・農芸科に首席で入学。
 1918大正7年、賢治卒業。
  地質土壌肥料研究のため、同校の研究生となり、翌年には稗貫郡内各地の土性調査を委嘱され、母校の実験教師となったが、8月に辞任。専攻の技術を活用する実業につくことを望んだが果たさず、家業を継ぐ意思のないまま店番をして過ごした。
 生家は大きな質屋で町の資産家であるが、宮沢賢治の一生は宗教・科学・文学・実践を通して、農民への奉仕に費やされたといわれる。次の引用文は、賢治が農林学校を去った同じ1919大正8年「校歌ローマンス」出口競〔岩手冨士にのぼる〕より。

 盛岡についた翌日、盛岡高等女学校長Y氏を訪ね、高農獣医科の生徒一人、中学生二人、女二人、牧師さんに私(出口競)と岩手冨士と云われる北にそびえた岩手山(岩鷲山)に登りました。柳澤村の真っ暗な部屋に泊まり、暗い中を炬火で登って、七合目で盛岡らしい電灯の光をみつけました・・・・・・
 盛岡は、政友会総裁にして、内閣総理大臣たる原敬さんの郷里です。Y校長のうちで、稲の葉を伝ってくる風に面を吹かせていた私に「あれが原さん」と教えてくれました。
 盛岡高農は今年まで16年の歳月を閲し、今の校長は佐藤義長氏です。盛岡高農の校歌は、同校校友会文芸部の作で、楠美さんが譜を作ってくれたのです。工業家(京都工芸高等学校)に云わせると工業立国だと云い、商業家(神戸高等商業学校)も商業立国だと、真面目腐ります。農業家、ここの生徒なども、校歌の第三で
「栄行く国も内にして、基立たずば何かせん」で農業立国策をほのめかしています。
  
 筆者(出口競)は、神戸商業・京都工芸・盛岡農林は同時設立なので、競争心を感じとったのだろう。

 1923大正12年9月1日、関東大震災。

      昭和期・戦前

 1928昭和3年10月、陸軍特別統監のため盛岡に行幸の天皇に、大本営内にて自然科学研究に関する陳列、校長以下研究教授が説明。岩手県産高山植物腊葉標本・東北地方産竹新種腊葉標本・馬匹年齢鑑定用馬歯標本を献上。夕、大本営に於いて校長に陪食仰せつけられる。

 1933昭和8年4月28日、文部省第一拓殖訓練所(修業年限1年)を御明神村・経済農場内に設置。修了生を満蒙大陸農業移民の指導者として送る。翌9年、満州国帝政実施(皇帝溥儀)。
   同年9月21日、宮沢賢治没。
 1941昭和16年、生徒定員500余名、卒業生は3426名に達す。
 1944昭和19年 盛岡高等農林学校を盛岡農林専門学校に改称。
 1945昭和20年8月14日、ポツダム宣言受諾。9月2日、降伏文書調印する。
 1949昭和24年、国立学校設置法により盛岡農林専門学校、盛岡工業専門学校、岩手師範学校、岩手青年師範学校を統合、農学部・工学部・学芸学部からなる総合大学として岩手大学設置。
 
   参考: 『盛岡市案内』1926盛岡市役所/ 『盛岡高等農林学校要覧』1935 / 『岩手の産業と名勝』1941岩手県書籍雑誌商組合)/ 『校歌ローマンス・続』出口競著1919実業之日本社
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