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2016年9月24日 (土)

水産学校も時代と共に、宮水(宮城県)

 東京ドームの巨人×中日戦、久し振りの快勝を目の当たりにし、助っ人外国人のお立ち台も楽しんだ。その日、ラッキーカード裏に翌日の 〔三陸・大船渡 東京タワー さんま祭り〕 の広告。その当日はけっこうな雨。でも、芝公園・東京タワーの下では、雨にも負けず、目黒のサンマならぬ「三陸サンマ」を味わう人が大勢テレビに映っていた。今秋はサンマが値上がりしているが、今夜はサンマを食べよう。
 そのサンマ、岩手県大船渡市はもちろん宮城県気仙沼市も全国有数の水揚量を誇る。でも、東日本大震災で被災し水揚げ量は減っている。筆者は漁師さん・水産業など縁がなく、海や魚のことは分からない。逆に、判らないから調べて書こうと思ったが、あまりに知らなすぎ。ふと、知識を得るには学校、海には水産学校があると気付いた。学校なら資料がありそう。
 さっそく、明治期の資料をみると、配属将校徴兵令文官任用令など今では見ない事柄が出てきた。学校といえども、いや、学校だから移り変わる時世と無縁でいられない。そして、海と交わりつつ生徒を育てる水産学校は全国に多々ある。その中で、通称・宮水(みやすい)、宮城県水産学校を見てみた。

      宮城県水産学校

 1895明治28年、日清戦争の結果、調印した下関条約に、ロシア・フランス・ドイツの三国が干渉、日本に圧力をかけ、臥薪嘗胆という言葉が流行った。
 1896明治29年10月、牡鹿郡簡易水産学校、石巻町湊五松山下の御蔵場跡に創設。

 1897明治30年2月20日、牡鹿郡簡易水産学校として、修身・読書・算術・図画・水産学大意(漁撈・製造)養殖・物理・科学の七科目を置き、二学級に編制し、修業年限を三カ年とし、生徒62名を収容して始める。
   敷地1997坪、校舎は元大蔵相の米粟棟、官舎一棟の払い下げを受け、教場、寄宿舎、宿直室、事務室、小使い部屋、十州城実習場などに宛てた。
 ――― 校長兼教諭(実業に経歴ある者)・助教諭2(東京水産伝習所卒業)・嘱託教員計4人。  授業の状況: 適当ノ教科書得ザルニヨリ専ラ口教授記セシム。
  実習ハ鰹鮪節・缶詰・ソノ他塩製等。網具、釣具製作ノ如ハ校内ニ於テ教授。鮑缶詰、及ビ灰鮑製造ハ、ソノ漁獲地ニ生徒ヲ引率シ実習ヲナサシム。

 1899明治32年、宮城県牡鹿郡水産学校と改称。修業年限3年。土地の状況により2年~5年以内にて伸縮することを得。授業は実習をのぞき毎週27時間以内。
 1901明治34年、宮城県群立牡鹿水産学校として改称(修業年限3ヵ年)
  1904明治37年2月、日露戦争開戦。翌38年、アメリカの斡旋で講話が成立。
 1906明治39年、県会、県立水産学校設立を可決。
 1907明治40年6月、牡鹿郡渡波町に新校舎起工、41年4月、仮校舎竣工。
 1908明治41年、宮城県立水産学校、徴兵令・文官任用令の認定を得る。合格者106名を5学級に編制、授業開始。10月、4学級に改め修業年限を4年とする。

 1911明治44年、宮城県立水産学校及び水産試験場

  ――― 字新田町にあり、水産に関する学理及び技術を授くる所にして、漁撈・製造・養殖の3科に分かつ。標本の饒多なること稀に見る所にして、養魚地・製造場も備われり。校庭に陸上マストあり、高さ66尺中空に聳ゆ。水産試験場も校内に併置せられ、海苔・牡蠣などの養殖盛んなり。今春、新式模範漁船東華丸(補助機関石油発動機40馬力)の建造なり、実地につき斯業の範を垂れつつあり。生徒定員300名、学級数6、修業年限4年、入学資格高等小学卒業以上。現在生徒120名、授業料一ヶ月50銭。

 1919大正8年、宮城県立の「立」の字を削除し、宮城県水産学校と改称。 
 1922大正11年、職員 :校長・教諭・舎監計11名。教諭の月給は78~113円。 
    生徒数: 1年42・2年37・3年33・4年20計132名。
  ちなみに、校長兼教諭は石川伸治で、十級(五等待遇)従六位、俸給は年1290円。
 1926大正15年、入学資格・尋常小学校卒業程度、定員200名、修業年限5年。
    職員: 学校長・教諭8人・書記1・嘱託教員3・武術教師2・学校医・配属将校・陸軍歩兵大尉
 1941昭和16年、日本軍、真珠湾を奇襲攻撃、対米英宣戦布告する。
 1945昭和20年8月14日、ポツダム宣言受諾回答する。9月2日、降伏文書調印する。

 1948昭和23年、宮城県水産高等学校と改称。
    漁業科、水産製造科、水産増殖科、修業年限3ヵ年。定員360名。 
 1953昭和28年9月1日、練習船「宮城丸」221.5屯進水。以後、 昭和41年396.65屯 / 昭和51年 水産実習船「宮城丸」496.09屯/ 平成元年497屯 /平成15年、海洋総合実習船「宮城丸」650屯。 
 1977昭和52年、 水産製造科・栽培漁業科・無線通信科の三学科に女子生徒入学許可
 1989平成元年1月7日、平成と改元する。
  

 2011平成23年3月11日東日本大震災

  以下、報告と報道から引用。
 東日本大震災を受け、沿岸部に立つ水産・海洋系の高校が苦しんでいる。実習設備が壊れた上に地盤沈下で校舎が冠水するため、要の実習がままならない。地元の水産業は壊滅的な状況で、就職に対する生徒の不安が高まっている。115年の伝統を持ち、全国有数の実習設備を誇る同校だが、所有する船は全4隻とも壊れた。近くの造船所が被災し、修理もできない。5、6000匹の魚が死滅した大型水槽はポンプが壊れて使えない。深刻なのは地盤が70~80センチ沈下したこと。毎日のように満潮時に校舎が冠水し、ひざの深さに達する。

  宮城県水産高等学校は東日本大震災により、直前に卒業した生徒と在校生が津波の犠牲となったほか、校舎1階が水没し、そのほとんどが使用不能となった・・・・・・ 石巻北高校へ学習拠点を移すことになり、5月1日から、同校のグランドの仮設校舎を利用して学習。当初から実習設備がないため、水産本来の実習は元の校舎へ移動せざるを得ない状況であった。このため、クラス毎に曜日を決めて実習を割り振って実施。更に今年度は施設等が復旧できず実施できなかった様々な実習を、市内の工業高校や他県の水産高校へ出向き体験的な実習時間を確保することにしている。

 2012平成24年、石巻北高等学校仮設校舎より帰校。翌年、 本校舎で開講式。
 2013平成25~26年、経済同友会より食品製造棟食洗機・給湯器・付帯設備・ 調理室・真空包装機・燻製機 ・潜水用具・420級ヨット・和船操舵システムほか寄贈。
 2014平成26年、情報科学科募集停止、海洋総合科(定員160名)1科に学科改変。
   この先は、下記webで。

   参考: http://miyagisuisan.myswan.ne.jp/gaiyo/enkaku.html 宮城県水産学校(宮城水産.web) 海洋総合科、情報科学科  〒986-2113 宮城県石巻市宇田川町1番24号
 『宮城県学事統計』M32 宮城県内務部/ 『宮城県学事関係職員録』1922宮城県教育会/ 『日本教育史年表』1994三省堂/ 『石巻案内』高橋長三郎(北江漁史)1911高橋書店/ 『近現代史用語辞典』安岡昭男編1992新人物往来社 

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