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2017年6月17日 (土)

明治の天気予報、天気図を一枚一銭で販売

 朝、曇り空だったけど天気予報を信じて洗濯、干し終わった頃には晴れてきた。天気予報はかなり当たり、予報士の皆さんは季節の食物から着る物の心配までしてくれる。テレビの情報番組、暗いニュースや国会中継など気分が落ちむと天気予報に切り替わるみたい。考え過ぎか。ともあれ、新聞・テレビの親切な天気予は日々の暮らし、行事にも欠かせない。でも昔は、天気予報が軍事機密の時もあったし、気象予報の装置や技術も未熟で詳しい天気予報は得られなかった。では、日本の天気予報のはじまりはいつ、どのように。明治のニュースから拾い出し、ついでに空模様が入った四字熟語を少し。

 1872明治5年7月23日(8.26)、函館に測候所設立。
 1873明治6年、長崎医学校のオランダ人ヘルツによって、香港・上海など海外の気象観測者との間で気象電信による観測結果の交換が毎日行われていた。
 1875明治8年6月1日、東京気象台創設。イギリス人ジョイネルを主任として、毎日1日3回気象観測実施。

 1882明治15年2月 ――― 今度地理局にては、ゲルマン人クニッピン氏を雇い入れになり、暴風の方位を精測せしめらるう由・・・・・・その衝に当たる国へ電報にて告げ知らせ、また各港にては暴風信号表を樹て、もっぱら船の安全を(東京横浜毎日新聞)

 1883明治16年3月1日から、各地の測候所から東京気象台に電信によって集められた情報に基づきドイツ人クニッピングによって天気図が作られ、毎日印刷して配布。
   3月15日、東京気象台、万国共同極地遠征隊の請により臨時磁力観測を開始。
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   4月4日から『時事新報』は全国の気象概報を掲載。

   4月6日 ――― 内務省地理局気象台にて、全国22ヶ所の測候所にて観測せられたるところの精密なる天気図によりて・・・・・・天気の全象を一目瞭然ならしむ。
   5月26日、はじめて暴風警報が出され、電信によって通報。
     <東京気象台の警報が信頼呼ぶ> 福井県下にては、初めて東京気象台より暴風の警報達せしに、須臾にして暴風起こり、たちまち海面に異兆を現せしにより、坂井・敦賀両港のの往復の汽船会社にては出帆を見合わせ、幸いに危害を免れしより以来・・・・・・人民こぞってこれを信じ、この頃にては争うて信号標の建設を企て(東京日日新聞)

   6月1日から派出所にも掲示。
       官報:東京府警視庁告示(五月三十一日)
     ――― 地理局にて日々三回宛天気予報通知相成候筈に付、警察署又は巡査派出所へ便宜 掲示候條此旨心得べし 警視総監 大迫貞清

   8月22日、我が内務省地理局においても今度、同局気象台にて毎日天気図を発行し、新橋及び横浜の両停車場へ掲示して衆庶の便に供えらるる(いろは新聞)。

 1884明治17年6月16日から全国を7気象区にわけて天気予報が出さる。
       7月27日、内務省地理局測量課にて日々刷り出さるる天気図は、航海者または農商上に至便実用のものなれば、人民より請願すれば何人を問わず一枚一銭、一日三枚三銭の手数料と郵税をさえ納むれば毎回逓送せらるる事になりしという(読売新聞)。

 1891明治24年8月、<照り降り人形発売>
      晴雨計人形、一名照り降り人形は、小野道風または婦女子姿などその形は種々なるが、いずれも箱入りにて美麗なる衣裳をつけ、左手に傘を携えており、明日晴天なればその傘を傾き下ろし、雨天なれば傘をさし、もって前夜に翌日の晴雨を示す。代価は20銭、軽便にして天気を予知するを得る稀代の人形なりと(国民新聞)。

 1893明治26年7月から気象通知電報により気象通報を開始。
 1924大正13年3月からラジオによって、1日3回全国天気概況と東京地方天気予報とを開始。

    参考: 『明治日本発掘 3』1994河出書房新社 / 『明治時代史辞典』2012吉川弘文館 /  『明治奇聞・第4編』宮武外骨1925-26半狂堂

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     晴好雨奇 せいこううき)   蘇軾

 山水の景色が、晴れの日に素晴らしいだけでなく、雨の日にもめずらしい味わいを呈すること。晴れでも雨でも、景観がそれぞれにすばらしいことをいう。
 中国の詩人・蘇軾が杭州(浙江省) に副知事として在任中に作った西湖の美しさを歌った詩にもとづく言葉。晴れた日の西湖、雨の日の西湖を、美人(西施)の丹念な化粧、薄化粧にたとえて詠んでいる詩。
 

     櫛風沐雨 (しっぷうもくう)

 風にくしけずり、雨に沐す。風が髪をくしけずり、雨で髪を洗う。風にさらされて奔走すること。また、苦難の道をたどることのたとえ。

     秋霜烈日 (しゅうそうれつじつ)

 烈日(真夏の太陽)も秋の霜も、どちらも草木を枯らすほど激しく厳しいもの。刑罰・意思・権威などがきわめてきびしく強いことのたとえ。
 今の世の中、裁判長に秋霜烈日の威厳をもって判決を言い渡してもらいたい人がいる。とくに威張って世間大衆を踏みつける人たち。

 
     光風霽月 (こうふうせいげつ)

 日の光の中をさわやかに吹く風と、雨あがりに出る澄んだ月。心がさっぱりとしてわだかまりがなく、爽快である人にたとえる。
 霽(せい)は晴れる意。原文は「人品はなはだ高く、胸懐洒落(きょうかいしゃらく)光風霽月の如し」(『宗史』)。
 
   参考: 『四字熟語の辞典』1991三省堂

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