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2017年6月10日 (土)

秋月・ハーン・漱石・寅彦、旧制熊本第五高等学校(熊本県)

 学校はもちろん、いろいろな場や所で先生と生徒が出会う。同じ先生でも時の流れというか居場所で、意欲や情熱が変化することもある。出会うタイミングによって師弟関係が良かったり、そうでなかったりもある。先生と生徒は互いを選べないことが多く、出会いは運、縁もありそう。そうしたなかで、旧制第五高等学校(現在の熊本大学)の生徒・寺田寅彦が、夏目金之助先生に教わったのは、二人にとっても日本文学のためにもよかった。

 1886明治19年11月、高等中学校設置。長崎・福岡・大分・佐賀・熊本・宮崎・鹿児島の7県を第五区と定める
 1887明治20年4月、第五区中学校。8月、医学部を長崎に設置
 1888明治21年、第五高等中学校創立。
 1890明治23年10月10日開校式。
        秋月胤永(かずひさ悌次郎)教師となる。11月23日、新嘗祭。秋月が勅語の奉読式を行い、国体の本義・忠君愛国・国民道徳などについて演説。各地から依頼があり出向く。

 1891明治24年8月、文部省参事官・*嘉納治五郎・第三代学校長兼文部相参事官。
      *嘉納治五郎: 明治時代の教育家。講道館柔道の創始者。

        “柔術から柔道へ、講道館四天王” 
   http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2014/11/post-ddfb.html

    同24年、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)第五高等学校英語教師となる。
 ハーンはギリシャの西、レフカス島の生まれ。フランスなどで教育を受け、アメリカに渡ってジャーナリストなる。渡米中の文部官僚、服部一三に出会って1890明治23年来日。
 服部の尽力で島根の師範学校と中学校に英語教師として就職し、この地の士族の娘、小泉セツと結婚。ついで、熊本に移り五高教師となり、九州各地や関西、四国、関東を訪れた。

 1892明治25年7月、第一回卒業式。一部法科4、文科2、二部工科5、理科3、計14名。
      ――― ああ、思えば多年、九州に於ける最高学府に来たり学べる者にして、孰れか胸中無限の光栄と感激とを有しなかった人があろう。而してその光栄感激こそ、無形の光風ともなり、校規ともなって、後進を鞭據し誘掖しつつあるではないか。

 1895明治28年3月15日 官報。第五高等学校医学部卒業証書授与式。
    医学科第六回 「第一部卒業生」士族(鹿児島・熊本・大分県)、平民(熊本・福岡・長崎)計6名。「第二部卒業生」士族(福岡・佐賀・熊本・鹿児島・広島・長崎)、平民(福岡・佐賀・長崎・愛媛・兵庫)計32名
    薬学科第二回卒業生:士族(長崎・佐賀・大分)、平民(長崎・鹿児島・沖縄・熊本・福岡)計9名。
         第一部法科:26名。第一部文科:12名(福島県士族・秋月胤永) 。
    第二部工科:21名(大阪府平民・山本三二郎)。理科:3名。農科:6名(士族、秋田・田口晋吉、兵庫・中島綱太郎。平民、三重・草川俊造、広島・佐々田源十、山梨・細田多次郎、静岡・岡部喜平)

   同28年5月、秋月胤永辞職。在職5年。
       “神のような人、秋月悌次郎(福島県会津・熊本)”
   http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2012/06/post-4de8.html

   同28年、ラフカディオ・ハーン辞職。3年間。
        ハーンは五高との契約が終わると神戸で英字新聞の社説執筆。翌29年、帰化して小泉八雲となのる。ハーンは、盆踊りや子供の情景や小さな昆虫や昔から伝えられて来ている民話や俚諺などに深い興味を示した。日本の歴史や文化に着目、多くの書物を著して欧米で刊行。
 この後、東京帝国大学で英文学の教師として1903明治36年まで勤め、後任は夏目漱石で、またハーンの後に赴任というめぐりあわせである。

 1896明治29年、夏目金之助(漱石)五高教師。ここ熊本で中根鏡子と結婚し長女筆子が誕生。4年余り滞在した後、イギリス・ロンドン大学に官費留学。
 1897明治30年5月、<官報>北海道平民・七級俸 正七位 夏目金之助 (『文部省職員録』)。
    金之助の送籍: 日清戦争直前、夏目家から分家し「北海道後志国岩内郡吹上町17番地浅岡仁三郎方」に籍を移し一戸を創立。徴兵忌避のためだったよう。
  第五高等学校の教師であった夏目漱石は、正月を過ごすために小天(おあま)温泉(玉名市天水町)へ旅行にでかけ、小説「草枕」を著す。
   同30年、柔剣道正科に<官報> 福島県士族・八級俸 従六位 秋月胤永(同職員録)。

 1898明治31年、五高生徒*寺田寅彦は漱石から英語を学び、漱石の*運座に出席。
     *運座: 人が集まって俳句をよみあい、すぐれた句を互いに選びあう会。この推薦で寅彦の句稿が『ホトトギス』や新聞『日本』に掲載される。
     *寺田寅彦: 物理学者・随筆家。東大物理学科卒業。東京の漱石家の会合で刺激を受け、小品文を書くようになった。すぐれた自然科学者にして近代日本文学史上最大の随筆家と称えられる。

 1900明治33年、学校令により医学部の分立(長崎医科大学)、工学部設立(熊本工業高等学校)。 
        同年9月、漱石、第一回官費留学生としてイギリスへ派遣され明治36年帰国。

 1902明治35年2月、千島占守(しゅむしゅむ)島の開拓者で報効義会長・*郡司成忠大尉来校して演説。職員生徒一同より、金百円を贈呈。
    *郡司成忠: 明治・大正期の軍人、幸田露伴の兄。北方警備と開拓を志した。日露戦争ではカムチャッカで戦いロシアの捕虜となった。

Photo
      後援会・同好会など。
 龍南会:会長・嘉納治五郎、龍南会雑誌部長、撃剣部長・秋月胤永、弓術、柔道、演説、戸外遊撃部長。

 ○有終会: 秋月教授を中心とする予科一級生の会合で、「倫理を講明し、修身を実行すること」を目的とする特殊的なものである。

 ○紫溟吟社(短歌俳句): 発句熱心家によりて創設せられたもので・・・・・・夏目教授と消長を共にせることは申すまでもない(『龍南会誌』)。

 1937昭和12年10月10日、開校50年式典。
    文部大臣代理文部相専門学務局長・男爵・山川健次郎臨む。
     ちなみに50年前の西南戦争、熊本城攻防戦において、健次郎の兄・山川浩は西郷軍に囲まれた熊本市街に一番乗りの活躍をした。明治・大正さらに昭和となって、まさに光陰矢の如しである。

   参考:
 『熊本大学附属図書館報』2003年「ラフカディオ・ハーンと正岡子規・夏目漱石の接点」西川盛雄 / 『五高五十年史』1939第五高等学校開校五十年記念会編 / 『木這子:東北大学図書館報.28』2004.3.31 / 『京都外国語大学図書館報no.198』奥正敬 / 『文部省職員録.明治27年12月』文部省 / 『熊本県広報誌』2006年4月 / 『夏目漱石をよむ』小森陽一1993岩波ブックレット / 『コンサイス日本人名辞典』1993三省堂 /国会図書館デジタルコレクション http://kindai.ndl.go.jp/

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