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2017年7月 1日 (土)

伊達政宗騎馬像、彫刻家・小室 達 (宮城県)

 子どもの頃、墓参りは楽しみだった。JR鶯谷日暮里で下車して谷中墓地へ、帰りは東京藝術大学の前を通って上野公園、奏楽堂の前をすぎて動物園。または上野広小路に出て食事、たまに都電で浅草へ。墓参=楽しい美味しい、でも子や孫はそういかない。墓参とセットでなくても面白いことたくさん、家にいてもゲームにスマホで愉しめる。それでも動物園は今も賑わい今夏はパンダの赤ちゃんが話題をさらっている。その動物園手前に小松宮彰仁親王騎馬像・大熊氏広作が建つが、西郷さんの銅像とちがい目立たない。同じ騎馬像、仙台の伊達政宗騎馬像は遠くからもよく見える。彫刻家・小室達が製作した像は時代の波を被りいったん消えるが、再建され凛々し姿を見せている。

         小室 達  (こむろ とおる)

 1899明治32年8月10日、宮城県柴田郡槻木村大字入間田柴田町)の小室源吾(のち槻木町長)とかよの三男に生まれた。
  ?年  槻木小学校
  ?年  白石中学校(宮城県白石高等学校)入学。
    このころから彫刻への関心が高まり生家に当時の小作品を残している。長い休暇の時も寮に残り木彫りに熱中し、授業中にも薪をつかって馬や鹿を彫っていた。その腕を見込まれて、学校の印鑑や料理屋の繁盛のための道祖神を彫ったこともある。

 1919大正8年、白石中学校卒業、東京美術学校(東京藝術大学)彫刻科塑造部に進学。
 1922大正11年3月、東京美術学校を首席で卒業、研究家に進む。
    同年、第4回「帝国美術院展覧会」(帝展日本美術展覧会)に初出品。
 1924大正13年、第5回帝展からは無鑑査となり若くして日本美術界での地位を確立。
 1925大正14年、第6回帝展「構想」が特選となる。

 1931昭和6年6月、宮城県青年団、青葉神社三百年祭記念に伊達政宗銅像建設を期して5年間継続事業として資金の調達に奔走。
   伊達政宗の騎馬像が建てられるという計画を耳にした小室達は、ぜひ制作にあたりたいと発起人代表の長門瀬三に手紙で「依頼の光栄に浴したく」懇願した。
 1933昭和8年11月26日、[伊達政宗公三百年祭協賛会]が総理大臣*斎藤実(旧水沢伊達家家臣)を総裁として宮城県および仙台市の連合で結成。
    *斎藤実: “2・26事件、斎藤実(岩手県水沢)”  http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2012/02/226-a686.html

   同年、小室は宮城県青年団から政宗の銅像制作を依頼され、1601慶長6年に仙台藩祖・伊達政宗が仙台城(青葉城)に入城した姿を写した「伊達政宗卿像」の制作開始。また、銅像製作調査員、*阿刀田令造・小倉博・田丸博士の意見をきくとともに、馬の研究のため岩沼の馬喰渡辺豊蔵のもとにしばしば通い、苦心の末これを完成した。
   *阿刀田令造:“教育家・郷土史家、阿刀田令造(宮城県)” http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2017/05/post-2a93.html

    仙台城跡(青葉山公園): 東北一の雄藩伊達氏62万石が、政宗以来約270年間居城としたところ。青葉山とよばれる城山は市街地の標高144mの小山で、麓には天然の要害をなす広瀬川が曲流し、裏山には深い谷をなす辰の口峡谷のある典型的な山城で難攻不落の名城と評された。

 1935昭和10年5月12日、伊達政宗騎馬像が建てられる。
   1300貫・14尺騎馬姿の政宗公像は白木綿50反に包まれ、東京日暮里、伊藤鋳造所を出発。沿道、非常の歓迎を受けつつ15日午後には県境を越え、この夜は白石泊まり。
   5月16日、政宗公の300回忌にあたる三百年祭典挙行に先だち、青年団員奉仕の下に国道筋をトラクターで仙台入り。
 着座の台石は前幅31尺、奥行き26尺。その上に高さ16尺6寸、巾10尺、奥行9尺の備前岡山産万成石に磨きをかけたる古代風の設計なり。台石の周囲には政宗公の像を各時代別にレリーフが4枚、正面は斎藤実・子爵の書、裏面には青年団銅像建設の趣意書を掲げる。
   5月23日、青葉城址天守台において除幕式を挙行。5月20日から26日まで仙台市を中心に宮城県内各地で記念事業が開催された。

 1938昭和13年4月、近衛内閣、国家総動員法を発布。以後、同法に基づき賃金統制令・国民徴用令などを発布。1941昭和16年8月、金属回収令。国家総動員法に基づいて軍需生産原料として金属類の国家への供出を定めた法令。
 1944昭和19年1月、伊達政宗騎馬像を供出。アジア・太平洋戦争下で日本が物資不足に陥り金属類回収令により騎馬像は仙台城から姿を消した。
   ちなみに、仙台市博物館の庭に伊達政宗胸像がある。戦後の混乱の中、金属供出から逃れた部分で胸像化されたものという。
   小室は戦時中、伊豆より材を得て戦後に腕を振るおうとしたが果たさなかった。

 1953昭和28年6月18日、肺浸潤のため53歳で逝去。東京杉並区の自宅で告別式が行われた。
      日本陶彫会々員。作品は、白石市斎川甲冑堂の女武者木像を二体、しな(第二回東台彫塑会入選)、薬師如来像などがある。

 1964昭和39年、小室の故郷に残されていた型を用い伊達政宗騎馬像を鋳造し再建
    高度経済成長期になると復元要望が市民から上がり、小室の地元・柴田町槻木庁舎と槻木小学校に梱包され分散保存されていた石膏原型を用いて復元することになった。石膏原型は柴田町から仙台市観光協会、ついで東京の鋳造工場に運ばれ復元された。東京オリンピック開会式の前日、復元除幕式が行われた。
    天守台跡からは杜の都・仙台市はもとより宮城野の彼方に太平洋を眺められ、隻眼をもって全奥州を席巻した藩祖・伊達政宗、鎧兜も凛々しい騎馬姿で城下町を睥睨している。

   参考: 『宮城縣史29』1986宮城県/ 柴田町観光物産協会:伊達政宗公騎馬像 / 柴田町農村環境改善センター / 小室達(柴田町): 平成20年度「仙台市博物館調査研究報告」第29号 / ja.wikipedia.org/wiki/小室達  /  東文研アーカイブデータベース - 東京文化財研究所  / 『日本の銅像』金子治夫2012淡交社 

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「小室達展:伊達政宗騎馬像をつくった彫塑家の足あと」のご案内

突然の書き込みで恐縮です。貴ブログを拝見して、ぜひご案内したいと思いました。ふさわしくないと思われましたら、無視してください。

詳細は、ギャラリーのブログをご参照いただければ幸いです。
http://2222gmf.blogspot.jp/

小室達については、よくご承知のようですから、省略します。今回は、小室達ご子息とのご縁から、柴田町のご協力もいただき、東京で初の回顧展を開催いたします。ぜひ、多くの方に見ていただきたいと思っております。

また、作品のブロンズ化を支援するクラウド・ファンディングにも挑戦しています。企画の経緯なども記載しておりますので、合わせてご覧いただければ幸いです。
https://camp-fire.jp/projects/view/70824

投稿: ギャラリー南製作所 | 2018年5月 8日 (火) 00時56分

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