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2018年1月 6日 (土)

ツル: 鶴・鵠・多豆・蘆鶴

 2018平成30年1月。漂う不穏の空気が重たく、のどかな新春とは言い難い。とはいえ、せっかくのお正月、長寿の象徴、瑞祥とされる特別天然記念物・鶴はどうか。

 ――― 鶴の端麗な姿は、もと日本各地でみられた。江戸時代には将軍や大名は鷹狩りによって鶴を猟し・・・・・・ 明治以来、狩猟が解禁されるとその数を減じ、現在(昭和56)わずかに北海道釧路地方にタンチョウヅルがおり、山口県八代村にナベヅル、鹿児島県阿久根地方にナベヅル・マナヅルが大陸から朝鮮をへて冬期に飛来するばかりである。

  日光湯本に棲んだ丹頂鶴は、白根権現の使いと信じられ・・・・・・ 紀州新宮市対岸の鮒田の宮の神は、鶴に乗って来たり鎮座したと・・・・・・  香川県大川郡には死んだ鶴を埋めた鶴塚、これを祭る鶴の宮とがある・・・・・・  博多の町で正月の松囃に鶴の踊り、また鶴に教えられて温泉を発見した話もある。
  青森県*野辺地馬門温泉は鶴の湯ともいい、むかし脚を傷つけた鶴が浸って癒やしたをみて薬効を知る。東北地方にはこの種の伝承が少なくない。
        *野辺地: “津軽海峡/青函トンネル記念館”
      http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2010/06/post-2f49.html
  
 三重県志摩伊雑村の大歳宮は、まな鶴を祭神とする。大歳神を*穂落神ともいう。
    *穂落神: 稲穂をくわえた鶴が落として多産の稲を知った (以上『日本歴史大事典』)。

         <昔話・鶴女房>

 動物報恩譚。傷ついた鶴を助けたら女が来て女房となり、美しい織物を織って男を豊かにし、のぞき見で正体を見あらわされて去った。 類話がひろく分布している(『日本歴史大事典』)。

      *** *** ***

 ――― *柴田錬三郎が生まれた鶴海(岡山県備前市)は瀬戸の海を片上湾が呑み込んだ形の中に抱きかかえられている入江の小さな村である。錬三郎は
「鶴海というのは、祖母の若い頃、春になると数百羽の鶴が、海辺へ飛来して産卵したからである。村人は、その一羽をも捕らなかったので、鶴たちは、庭へ入ってきて、子どもと遊んだ」
と、明治の末ころまでの平和な昔物語を語っている (『柴田錬三郎の世界』)。

     *柴田錬三郎: 戦後の小説家。「イエスの裔」で直木賞。週刊誌に連載した読み切り連載の長編小説「眠狂四郎無頼控」が好評で、剣豪作家として知られ、旺盛な活躍振りを示した。

      *** *** ***

               < 鶴 ・ 鵠>

 万葉集の中に鶴に関する歌は可なり多くある。当時わが日本には随分鶴が居たらしい。なかんずく名高いものは高市黒人と山部赤人の作だ。

  桜田へ鶴(たづ)鳴き渡る愛知(あゆち)潟 潮干しにけらし鶴鳴き渡る (黒人)

  和歌の浦に潮満ちくれば潟(かた)をなみ 葦辺をさして鶴(たず)鳴き渡る (赤人)

 ある古本に鵠字が鶴字となっているという。そのうえ*五雑組(中国・明の随筆)に鵠すなわち鶴なりとあり、たづとよみ、次の歌も鶴である。 磯の前は琵琶湖

 磯の前こぎたみ行けば近江の海 八十の港に鵠さはに鳴く
 
 難波潟潮干に立ちて見渡せば 淡路の島に鶴鳴き渡る

 朝びらき漕ぎ出で来れば武庫の浦の潮干の潟に鶴のこえすも

 伊勢の海に名鳴き渡る鶴の音どろも 君が聞こえばわれ恋ひめやも

 足柄の筥根とび越え行く鶴の 乏しき見れば日本(やまと)し思ほゆ
  
 万葉時代にはこれほど鶴が居たのだ・・・・・・現時(昭和15)鶴の居る所、鹿児島阿久根および荒崎浜、山口県岐阜県上野尾瀬沼・北海道釧路などがある。中でも、荒崎浜が一番多かった。
 200羽以上も居たろうか。鍋鶴が一番多く丹頂は少なかった (以上『悪童記:短歌と随想』*斉藤瀏)。

     *斉藤瀏(りゅう): 大正・昭和期の陸軍軍人(少将)。山東出兵に参加したが、帰国後、予備役に編入され、それを不満として皇道派青年将校に近づき、2.26事件に際し反乱軍を援助した。そのため免官となり禁錮5年の刑をうけた。アララギ派の歌人。

      *** *** ***

        <阿久根の鶴>

 ――― 昭和13年の初春、故郷の鹿児島へ出向いた折、公用が終わっての帰途に下車して訪ねた・・・・・・傾く夕陽の光を浴びながら、その鶴の群棲する田圃の近くへ案内されていった・・・・・・ここに屯する鶴は、夏は満州・朝鮮・東部シベリヤ地方に住んで、10月中旬ごろから渡来し、翌年の3月初旬ごろまでをるのだそうで、年々次第にその数を増して2、3千羽となり、当年は事に多くて6千羽ぐらいと報告されている。

 ・・・・・・ 面白いことは、*阿久根の田圃は夜の宿泊所で、早朝一斉に飛立って、ここから5、6里ばかりある米の津町の方角の、荒崎田圃といって松林のある海辺近くの水田地に翔っていき、昼間はその遊園地で逍遙自適の生活を営み、黄昏告ぐるころほひになると、また全団隊伍正しく飛び帰ってきて安息の夜を過ごす・・・・・・
 遠い夕空の彼方から黒影が一つ一つ浮かんで来ると見るまに、一団また一団、後から後から続々と繰り出す翼の軍、忽ち一面の天を占めて、私たちの頭上を掠めながら、羽ばたき愉しく水田の方へと群がり降りて行く。それが一隊づつ整然と列をなして引き続くさまは、さながら大編隊飛行で、実に壮観とも何とも譬えようがない (以上『歓喜咲』*島津久基)。

   **島津久基: 大正・昭和期の国文学者。鹿児島県。「対訳源氏物語講話」で、源氏研究に新生面を開き、また、近古小説、説話研究の権威でもある。

      *** *** ***

        <鶴亀の齢の話>

 ――― 寺の小僧がある時、書物を読んでいると千鶴万亀という文句があった。何の事か分からなかったので、早速和尚さんにその訳をきくと、
 「これはな鶴の年は千年、亀の年は万年といって、千年万年生きるという事じゃ」和尚の話を聞いた小僧は
「誰かそれをたしかめた者があるのですか」と反問すると、和尚
「そりゃあるとも、嘘だとおもったら、お前今から鶴亀を飼ってみろ」 (『和尚と小僧』)

      *** *** ***

       鶴帰る                      岩田潔

  青天をかへりゆく鶴
  鶴は北のくにへかへつてゆくのだ
  ただ三羽 寒流の蒼穹(そら)へかへつてゆくのだ
 
  かへりゆく鶴を仰いでゐると
  太古のこころがよみがえつてくる
  素朴を愛し 神とともにあがつた精神(こころ)がよみがへつてくる

  青天にもう鶴は見えない
  湖のあたりはうす紫に霞んで
  春のひと日の黄昏がしづかに来てゐるのだ   ( 『愛日抄:詩集』)

      *** *** ***

        <伝 承>

 日本では吉祥の鳥、長寿の鳥とされているが、この思想は中国文明が日本にもたらしたものといわれる。「古事記」や「日本書紀」では多豆(たず)、蘆鶴(あしたず)などと呼ばれた。

  焼け野の雉(きぎす)夜の鶴: 巣のある野を焼かれたきじが、自分の身を忘れて子を救い、また、寒い夜に巣ごもる鶴が自分羽で子をおおい温めることから、子を思う親の情の切なることのたとえ。
 日本ではツルは渡り鳥として古来、ナベヅルがもっとも多く・・・・・・ ツルを囲いの中で飼育して巣引きに成功した例は明治以前にもあったが、自然の状態では日本では繁殖しない・・・・・・
 古来、「鶴の巣ごもり」などと称するのは、ツルではなくコウノトリで、これは明治以前は江戸の市中でも営巣した。「焼け野のきぎす夜の鶴」も真相はツルではなく、コウノトリであったと思われる。

         <星座の鶴> 

 みなみのうお座のすぐ下にあり、日本でも光度2等のα、βの両星が地平すれすれに並んで見える(『世界大百科事典』石田五郎)。

   参考: 『日本歴史大事典』1981河出書房新社 /『柴田錬三郎の世界』能代正英ほか2017岡山文庫 / 『悪童記:短歌と随想』斉藤瀏1940三省堂 /  『愛日抄:詩集』 岩田潔1941東海書房 / 『歓喜咲』島津久基1942河出書房 / 『和尚と小僧』中田千畝1927坂本書店 / 『世界大百科事典』1972平凡社 / 『コンサイス日本人名辞典』1993三省堂

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