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2018年5月19日 (土)

仙台史跡めぐり(宮城県)

            東北大学図書館
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 図書館大好き、近所の図書館はありがたい。さらに大学の図書館はうれしい。閉架書庫に泊まり込んで好きなだけ資料を漁りたいくらい。しかし入館できない大学図書館もある。残念だが仕方がない。又、あまり遠いと行かれない。ところが仙台にいく機会があり、東北大学図書館に行ってみた。

 その日は雨で木々の濃い緑がしっとり、天まで伸びた樹木と建物が調和していい光景。勉強しすぎて疲れてもキャンパスの緑に癒やされるでしょう。タクシーをおり、聞くまでもなく図書館はすぐにわかった。入口を入ってすぐ右に、魯迅と藤野先生の像があり思わず、「あぁ、東北大学!」
  
   “仙台医学専門学校、藤野先生と魯迅(宮城県)”
 http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2015/08/post-4c00.html
    “魯迅「藤野先生」(現東北大学・仙台医学専門学校)”
 http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2011/10/post-dc8f.html

 東北大図書館はさすがに東北ならではの書籍がならんでいた。片端から読みたかったがそうもいかず、3時間位いて外に出た。帰りはスクスク伸びた樹木の緑をたのしみつつ歩いて、学校近くの国際センター駅から地下鉄で仙台駅のホテルに戻った。
 けやきが大好きでペンネームにしているが、都心はもとより近郊の樹木はほとんどが剪定されている。それを見なれてるから思いっきり、好きなだけ、天まで伸びた木をみるといいなあと思う。

           土井晩翠・晩翠草堂

 仙台駅前のバス乗り場から、主な観光地を循環する<るーぷる仙台>号がでている。一日乗車券大人620円、乗り降り自由で自分のペースで楽しめていい。バス停は16あるが、のんびりしすぎて数カ所しか見学できなかった。その最初が晩翠草堂。 バスは満員だったけど下車したのは私だけ。仙台に来たら青葉城、♪荒城の月、土井晩翠でしょと思うが人の興味は様々ですね。
 草堂というとおり、住まいはこぢんまりしている。戦災で住居と蔵書を失った晩翠のために、教え子など市民有志が中心となり、旧住居跡に建設されたものと教えてくれたのはボランティアの方。ご当地ならではの話や展示物の解説が聴けてよかった。次の年譜は仙台文学館発行パンフレット「土井晩翠」から。

 1871明治4年、仙台市北鍛冶町(青葉区木町通)に生まれる。
    実家は大きな質屋で裕福。漢学を学び、斎藤秀三郎の仙台英語学校に通う。
 1894明治27年、第二高等中学校卒業。東京帝国大学英文科に進学。
 1896明治29年、雑誌『帝国文学』編集委員。
 1898明治31年、カーライル『英雄論』翻訳出版。帝国文学に「星落秋風五丈原」発表。

     “愛誦の楽しみ、土井晩翠(宮城県)”
  http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2012/06/post-6430.html

 1899明治32年、第一詩集『天地有情』出版。
 1900明治33年、母校の教授として郷里の仙台に帰る。
 1901明治34年 ~ 1943昭和18年、
       【晩鐘/東海游子吟/曙光/天馬の道に/チャイルド・ハロウドの巡礼/アジアに叫ぶ/神風/イーリアス/オディッセーア】

 1902明治35年、イギリス滞在中の晩翠はロンドン郊外の港で、病気のため留学半ばで帰国する船上の滝廉太郎を見舞った。これが、「荒城の月」作詞者と作曲者のただ一度の出会いであった
 1945昭和20年、敗戦。
 1949昭和24年、仙台名誉市民。翌25年、文化勲章。
 1952昭和27年8月、仙台城址に「荒城の月」詩碑建立。
      10月19日、逝去。満80歳。

            仙台城趾

 城跡に立つと仙台市内が一望できてなかなかいい眺め。しかし、見渡す限りのその地が、戦災、空襲、大震災と大きな被害にあったことを考えると胸が痛む。さらに高い所から城下を見下ろす伊達政宗公は何を思うだろう。

   “伊達政宗騎馬像、彫刻家・小室 達 (宮城県)”
  http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2017/07/post-f986.html

 1868明治元年、仙台藩降服。
    仙台城の本丸にあった大広間などの建物は、明治なり政府に売却され、取り壊されたが、二ノ丸、三の丸は軍の施設など利用されたため
明治になっても多くの建物が残っていた。

 1871明治4年、東北鎮台(後の仙台鎮台)を仙台城二ノ丸に移す。
   “東北鎮台(軍団)”
 http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2011/04/post-3861.html
 
 1874明治7年ごろ、仙台城本丸が破却される。お城があったのに壊されて木材は売られてしまったという。
 1882明治15年、残っていた二ノ丸が火災で焼失。
    ・・・・・・
 1945昭和20年、アメリカ軍の仙台空襲。大手門・脇櫓。巽門焼失。
 2011平成23年3月11日、東日本大震災により、石垣や土塀が被災。
    本丸石垣や中門石垣・清水門石垣が崩落したり変形して崩れかかる被害がでた。

    参照: ガイダンス施設<仙台城見聞館>パンフレット・ワークシート。

 

         日本の水力発電発祥・三居沢発電所

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 立派で見栄えもする仙台藩祖・伊達政宗公霊屋、瑞宝殿を見学する人は多かったが、三居沢発電所バス停で降りた人は自分だけ。運転手さんに教わったように川沿いの道をいったが、水力発電所らしいものが見当たらない。そのうち、こぢんまりした三居沢電気百年館があった。水力発電所というのでダムを思ったが、ああ勘違い。

 三居沢発電所は広瀬川の水を動力として使用する、全国でもまれな市街地にある発電所。現在は出力1000kwの水力発電所と配電用変電所として、いまなお電気をつくり続けている。
 電気百年館の2階のベランダにでると写真のような光景が見られる。歴史的な趣があるが今も仙台技術センターから遠隔監視・制御されて発電しているという。
 三居沢の先駆者たちとして菅克復・伊藤清次郎・藤山常一の名があがっている。

  “仙台の交通と電気、電狸翁・伊藤清次郎 (宮城県)”
 http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2016/04/post-2e19.html

 なお、発電所建屋は、「国指定有形文化財」として登録。発電所と所蔵物が「近代化産業遺産」、発電所関係機器・資料群が「機械遺産」としてそれぞれの機関から認定されている。

 1888明治21年、宮城紡績会社工場内の水力を利用して、出力5kwの直流発電機で、工場内50灯、鳥崎山に1灯のアーク灯をともす。
 1894明治27年、三居沢の水力発電を利用して、仙台電灯株式会社が伝統事業を開始。仙台市内に365灯の電灯をともす。
 1902明治35年、三居沢で日本最初のカーバイトの製造に成功。
 1910明治43年、現・三居沢発電所運転開始。
 1912大正元年、仙台市電気部に譲渡。
 1942昭和17年、東北配電に継承。
 1951昭和26年、東北電力に継承。
                     
   参考: 東北電力<三居沢電気百年館>

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