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2018年7月 3日 (火)

雄勝硯・宮城県と震災・仙台地下鉄 & 仙台平 (宮城県)

 梅雨のさなか。上野公園を通り抜けようと動物園前にでたら、パンダ人気で雨にも負けず賑わっていた。それを横目に東照宮の長~い階段をくだりその先、鴎外荘に行った。福島県大熊町「読書の会」がそこであり、ふとしたご縁で参加した。
 大熊町民の方は避難先の会津、秋田、関東などさまざまな所から見えていた。大震災・原発事故により故郷を離れ、はや7年。言いたいことは山ほどあるでしょう。でも、読書会のこの日、会場の空気は穏やかで温かかった。これまでの苦労をいたわり、解り合える友人・知人と再会、笑顔で交歓できたからでしょう。
 読書の会、企画の一つが「わたしの一冊」。
 グループ毎に各々が一冊を選んだ理由、感想を発表しあった。限られた時間ながら語られる本、ジャンルはむろん味わい方も人それぞれ、多様でおもしろかった。
 小学校・中学校の先生方から、読書活動についての報告もあった。そのなかに「子どもが大人や先生にへすすめる本」 という活動が紹介された。子どもが薦める本て、どんな本? 孫も大学生になり、絵本や児童書を見なくなって久しい。それで、近所の図書館の児童書コーナーをのぞいてみようと出かけた。
 ところが、新刊コーナーに『地図で楽しむ すごい宮城』(2018.6.6都道府県研究会)があり、何がスゴイか借りてそのまま帰ってきてしまった。ページをくると、「すごい○○」はどの県にもありそう。ネーミングがスゴイです。せっかくなので「宮城のすごい」、幾つか取りだしてみた。

                雄勝石(おがついし)・雄勝硯

Photo_2


 約600年前の室町時代: 宮城県北東部、良質の硯の産地として知られる。

 江戸時代: 伊達政宗も雄勝硯を愛用、雄勝石産出の山を「お留め山」として管理。

 明治: 桃生郡十五浜村ノ内 雄勝浜一帯ノ産地ヨリ産ス、一ニ玄昌石ト称シ、硯材、石盤、*スレート瓦及其他ノ石細工ニ適ス、硯材ハ赤間・高島ト声価ヲ均フシ、スレート瓦ハ美観、耐久ノ故ヲ以テ世上ノ賞賛ヲ博シ、需用日ニ盛ニシテ、近年遠ク海外ニ輸出スルニ至レリ、上図ハ採掘ノ場所ニシテ、下図ハ其製作荷造ノ景況ナリ(『東宮行啓記念宮城県写真帖』1908宮城県編纂)

   *スレート: 薄く簡単に剥がせるため、石盤・敷石・碁石、屋根瓦にも使われる。
   『東宮行啓記念宮城県写真帖』: デジタルライブラリーにあり、明治41年の宮城県が見られる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780859

 現代: 雄勝産の天然スレート(黒色粘板岩)は品質の高さから、法務省旧館・神長官守矢史料館・東京駅丸の内駅舎の屋根に用いられている。
 2013平成25年、衰退傾向にある「雄勝硯復興プロジェクト」発足。

 

          宮城県にまつわる震災の歴史
 
   869貞観11年、貞観地震 規模M8.3~8.6: 津波により多賀城下で約1000人の溺死者。

      “末の松山(宮城県と岩手県と)”
      http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2013/08/post-53b3.html

 1677慶長16年、三陸地震 規模M9.0 : 大津波で伊達領の溺死者1783人。
 1616元和2年、宮城県沖地震 7.0 : 仙台城が破損
 1793寛政5年、寛政地震 8.0~8.4 : 仙台藩で死者12人、家屋倒壊1000棟以上。
 1835天保6年、宮城県沖地震(仙台地震) 7.0: 仙台城が破損

 1896明治29年、明治三陸地震 8.2: 北海道から宮城にかけて死者・行方不明者2万人以上。後の昭和の三陸地震とも、陸地から離れた日本海溝付近で発生したため、地震動による被害は小さかったが、津波により太平洋沿岸に大きな被害をもたらした。
 
 1933昭和8年、昭和三陸地震 8.1: 津波による死者・行方不明者300人以上、家屋倒壊・流失1400棟以上。
     “『津浪と村』地理学・民族学、山口弥一郎 (福島県)”
     http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2018/01/post-d5d1.html

 1962昭和37年、宮城県北部地震 6.5: 宮城県の北部で発生した。
 1978昭和53年、宮城県沖地震 7.4: 死者28人、負傷者は約1300人、被害総額は約2688億円
     丘陵を造成した宅地に大きな被害が生じ、さらに、ガス、水道、電気等のライフラインの被害により市民生活に混乱が生じるなど、都市型の災害が生じた。
 この宮城県沖地震が発生した海域付近では、1855安政2年M7・1/4、1897明治30年M7.4、1936昭和11年M7.4 と、ほぼ40年間隔で同程度の規模の地震が発生している(「東日本大震災:宮城県の発災後1年間の災害対応の記録とその検証」宮城県)。

          東西南北を走る仙台市地下鉄


     “仙台史跡めぐり”
    http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2018/05/post-1b77.html

 仙台駅から東北大学付属図書館を訪れた帰り、「国際センター駅」から地下鉄に乗った。旅先で地下鉄に乗れるとは思わなかったのでもの珍しかった。
 駅舎も地下鉄もピカピカだったが、それもそのはず乗った東西線は2015平成27年、今から3年前にできたばかり。
 ――― 東西線は13.9km、東京都営地下鉄大江戸線などと同じ新機軸の鉄輪式リニアモーター方式で、南北線より規格の小さなミニ地下鉄であり、輸送需要にふさわしくバランスがよい。車輌は伊達政宗の兜の前立てをイメージした三日月を前面に配している。ただし兜の無骨さはなく、ゆるキャラのようなラブリーなデザイン。(『地図で楽しむ すごい宮城』)
 デザインについて知っていれば、車輌をしっかり眺めて乗ったのに残念。

 ――― 南北線は1987昭和62年、全国で10番目の地下鉄として開業。当初からATOによるワンマン自動運転で、約13kmに16駅が置かれ、道路の慢性的な渋滞を解放させた(同書)。

 地下鉄東西線・南北線はどこにもありそう。東京都内の東西線は早稲田大学オープン講座に行くのに利用する。南北線は後楽園・東京ドームに行くのに乗る。でも近ごろ、チーム振るわず行く気しない。仙台の楽天ファンも同じかな。それでもお互い応援がんばりましょう。

          仙台平

 2018平成30年7月2日  “国民栄誉賞 希望を被災地に 羽生弦選手
     ――― 羽生選手は紋付きの羽織はかま姿で出席。 江戸時代に仙台藩で生まれた最高級絹織物「仙台平」のはかまは、人間国宝の甲田綏郎氏から贈られた逸品だ(毎日新聞2018.7.3)。

   フィギュアスケート男子、羽生弦選手。ただただ、感心してみつめるばかりだが、心映えがまた素敵だ。羽織はかま姿に見とれるばかりだったが、仙台平ときいて宮城県人でなくとも なおうれしい。前の記事を思いだした。
          “袴の代名詞・仙台平、小松彌右衛門 (宮城県)”
  http://keyakinokaze.cocolog-nifty.com/rekishibooks/2014/03/post-f6ce.html
   

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