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2019年5月25日 (土)

肥薩線 ⇔ 鹿児島本線、湯浦 (熊本県)

 平成最後の4月末、流行っていた卓球場が閉鎖になった。近年の卓球人気、Tリーグなど有名人の店主が超多忙のためらしい。せっかく、卓球場にもメンバーにも、JR新宿駅の人並みを掻き分けるのにも慣れたのに、惜しい。
 卓球場へはJR新宿駅で地下鉄・丸ノ内線に乗り換えて通ったが、いつ行っても新宿の駅構内も街も人混みがすごい。覚え違いでなければ新宿駅は6路線が乗り入れている。行き交う人が途切れないが、みな落ち着いて歩いている。どの路線でもたいして待たずに乗れるから、誰も急がない。
 もし、これらの路線の名称が変わるようなことがあれば、混乱すると思われるが、九州熊本では「線名の交換」があったという。その経緯を『地図で楽しむ日本の鉄道』と『地名事典』などでみてみた。
 いまさらだが、地図や鉄道は位置が分かりやすい。それで、これまでとりあげた熊本県は北部ばかりで南部の記事がないと気づいた。せっかくだから、熊本県南部の芦北町の湯浦をみてみた。駅は、第三セクター「肥薩おれんじ鉄道株式会社」の湯浦である。

   <移り変わる南九州の幹線ルート

 鹿児島本線:JR九州。門司港~博多~熊本~鹿児島およびJR貨物所属の貨物支線2線からなる九州の重要幹線。
 1890明治23年、開業。門司港~八代、九州鉄道
 1907明治40年、国有化。門司~人吉、人吉本線。鹿児島~吉松、鹿児島線

 1909明治42年、人吉~吉松間が開通し両線をあわせて鹿児島本線と改称。現在の*肥薩線(第2次)である。これにより門司・博多方面から鹿児島へ汽車が直通できるようになった。
 ※ 肥薩は、九州南西部、熊本・鹿児島にまたがる地方名など。肥後・薩摩2国の合成。

   肥薩線:JR九州。八代~人吉~隼人(日豊本線)。当初は人吉本線・鹿児島線と称された。当初は、急勾配をさけるために海岸部を経由Photo_3 する新線が川内(せんだい)の名称で建設された。肥薩線(第一次)である。
 1914大正3年、川内線が川内町(現川内)まで開業。

 1927昭和2年、熊本県内の湯浦~水俣が通じる。
   これにより八代~鹿児島間の海岸回りルートが完成、こちらが鹿児島本線となった。
   ルート変更により、八代~人吉~鹿児島を肥薩線(第2次)。

 ちなみに、人吉~吉松は矢岳越えの急勾配区間(最大30.3パーミルとして知られる。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

          <湯 浦ゆのうら)> 

 Photo_4thumb1_1  ※ 『大日本沿海実測録伊能忠敬 明治三年 大学南校
     ○従肥後国湯浦本村大口街道、至鹿児嶋
     肥後国、葦北郡、湯浦本村  三里一十三町四十七間

      伊能忠敬: 1805から16年(文化13)にかけて中国・四国・九州の沿岸および、伊豆七島の測量、江戸府内の 細則を行い、それぞれ実測図を作った。17年にわたる全国測量を終わると、各地方の地図を総合して<大日本沿海輿地全図>の製作にとりかかったが、中途で死去。輿地全図は3年後に完成した。

  ※ 『くまもと県からのたより』平成7年8月31日  
    芦北七浦パークコースト整備
    七浦(田浦、湯浦などの七つの浦)と呼ばれた美しい海岸をもつ水俣・芦北地域。

  ※ 湯浦の歴史
   熊本県南部。古くは鹿児島街道の宿駅。
 1889明治22年、湯浦村が発足。 町村制の施行により、湯浦村、女島村、丸山村、米田村、豊岡村、大川内村、高岡村、古石村、宮崎村が合併。
 1951昭和26年、 湯浦村が町制施行して湯浦町となる。
 1970昭和40年、 葦北町と合併して芦北町が発足。同日湯浦町廃止。

  ※ 湯浦温泉
   湯浦駅の西、約500m、湯浦側沿いに、10軒近いこぢんまりとした湯宿が散在(1998年)。硫化水素泉。
 奈良末期の宝亀年間(770~80)の開湯といわれて、歴史は古い。
 近世には薩摩街道(現国道3号)を往来する人で賑わったという。おそらく、西南戦争時の西郷隆盛もこの街道を熊本に向かっていったろう。

  ※ 湯浦川
    国見山地の大関山に発し、芦北町湯浦を経て八代海に注ぐ川。河口で北を流れる佐敷川と合する。下流に湯浦温泉がある。 

 

      参考:『地図で楽しむ日本の鉄道』今尾恵介2018洋泉社 / 『郷土資料事典 熊本県』1998人文社 / 『日本地名事典』1996三省堂 

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