« 月明や沖にかかれるコレラ船、日野草城(東京) | トップページ | 幕臣の明治は良二千石、関口隆吉 (江戸・静岡県) »

2020年7月18日 (土)

阿蘇の雲煙、「草千里ヶ浜」「二百十日」(熊本県)

 コロナ禍さなか、熊本をはじめ南九州、西日本、関東から東北まで大雨続き、至る所が困難にさらされている。被災し泥にまみれて片付けをする人にもなお降りかかり、あんまりだ。なかでも九州は被害が大きい。
 九州の柴五郎ファンさん、どうしてますか。持ち前のしっかりした気性と明るさでがんばっていそう。でも、無理のないように。
 それにしても、熊本は2年前の大地震の爪痕が残っている所もあるのでは。どうか、くじけずに元気をだしてください。
 熊本には男らしいイメージがある。その象徴が加藤清正の熊本城と阿蘇山、そこで阿蘇ゆかりの詩句、文芸をみてみた。

 初めて阿蘇を訪れたとき、雄大な外輪山に感激。広い阿蘇の裾野もすばらしく、ただ眺め渡していると、濃い緑の山の一部が黒っぽくなっているのに気付いた。そして、それがゆっくり動いているのが不思議だった。しばらくして、何気なく空に目をやると、青空に浮かんだ白雲がのんびり動いている。
 そうか、雲が山に影を落としてるんだ。生まれて初めて雲の影を見た。阿蘇は雄大!自分はちっちゃい。大抵のことが、ま、いいかになる。
 
     < 阿 蘇 >
 噴煙上げる阿蘇山・中岳を中心に世界最大のカルデラ地形が広がる。周囲128km巨大な円形の窪地を外輪山が取り巻いている。一般に阿蘇山と呼ばれているのは、この窪地にそびえる阿蘇五岳の峰峰のこと。巨大な窪地の中には町や村がある。
 五岳のうち中岳は今も噴煙をあげ、火口見物が阿蘇観光のハイライトになっている。

     < 阿蘇市大観峰 >
 阿蘇の外輪山に位置する阿蘇五岳の展望地。
 昔は遠見ヶ鼻と呼ばれたが、徳富蘇峰によってこの名付けられた。
     “熊本の兄弟、徳富蘇峰・徳冨蘆花(熊本県)2018年7月14日”

     < 北里 柴三郎 >
 阿蘇の麓の村で生まれたのが、伝染病研究所(北里研究所)を設立した細菌学者・北里柴三郎である。
  --- 阿蘇の東方には根子、祖母の高峰ががならび、はるか北方には英彦、御前、万年の諸方がそびえています。これらの山と山との間には、さらに小さい山々が起伏し、その山峡(やまがい)をぬって水晶のようにすんだ渓流がほとばしっています。俗界を遠くはなれた神秘な山岳地帯です。
 この山峡の一隅に北里村というささやかな村があります。くわしく言えば、熊本県阿蘇郡小国郷(おぐにごう)北里村・・・・・ この村に、徳川時代のずっと前から代々総庄屋をつとめた、清和源氏の後裔と伝えられる名門北里家があります(『偉人北里博士』)。 

    < 艸千里浜 > 三好達治
 われ嘗てこの国を旅せしことあり
 昧爽(あけがた)のこの山上に 
 われ嘗て立ちしことあり
 肥の国の大阿蘇の山 
 裾野に青艸しげり
 尾上には煙なびかふ 山の姿は
 そのかみの日にもかはらず
 環なす外輪山は 
 今日もかも

 思出の藍にかげらふ 
 うつつなき眺めなるかな
 しかはあれ 
 若き日のわれの希望(のぞみ)
 二十年(はたとせ)の月日と 友と
 われをおきていづちゆきけむ
 そのかみの思はれ人と 
 ゆく春のこの曇り日や
 われひとり齢かたむき 
 はるばると旅をまた来つ

 杖により四方をし眺む
 肥の国の大阿蘇の山 
 駒あそぶ高原(たかはら)の牧
 名もかなし艸千里浜

    艸千里: 阿蘇火山中央火口丘の一。別称、草千里ヶ浜、千里ヶ浜。約1キロメートル四方の草原で、夏は一面の草原に赤牛が放牧され、雄大な景観。
    三好達治: 昭和期の詩人。典雅な抒情詩人、古典派の代表詩人。詩・評論・翻訳・随筆なども発表。敬愛する萩原朔太郎の死に際しての挽歌は傑作として知られる。
 ちなみに達治は東京工業大学校歌も作詞している。
  --- 3番の歌詞「工人よ 窮理者よ 友…」とあるのは、知技志和の理工人に通ずるもので、楽譜のオリジナルが最近発見され、詩とともに学長室に飾り(「東工大クロニクル」 2010より)。

     < 阿 蘇 > 野口雨情
   阿蘇は 火を吐く 恋路の ほのほ くめよ 熊本の かはい人

    野口雨情: 大正・昭和期の詩人。北原白秋とならぶ童謡運動の推進者。童謡「青い眼の人形」、「雨情民謡百編」、素朴明快な詩風で愛唱されているものが多い。

     < 『二百十日』 > 夏目漱石
 明治の中ごろ、秋の阿蘇を訪れた夏目漱石の句。
    行けど萩 行けど薄の 原広し

 句を詠んだおり泊まった旅館山王閣に当時の部屋を復元した「漱石記念館」がある。
 漱石は1896明治29年、熊本第五高等学校講師として熊本へ赴任。その4年3ヶ月の間にたびたび九州旅行をし、「山路を登りながら、かう考えた」で始まる『草枕』は有名、その舞台は小天温泉であった。
 1906明治39年、阿蘇登山を背景とした『二百十日』を発表。この作品がでた翌年、与謝野寛北原白秋たち「明星」の5人連れが九州旅行をし、漱石とは違った山道で山頂まで登っている。

   参考: 『阿蘇郡誌』1926熊本県教育会 / 『偉人北里博士』中貞夫1942東亜書院 / 『沙上の夢』野口雨情1923新潮社 / 『一点鐘』三好達治1944創元社 /『漱石の地図帳』中島国彦2018大修館書店 / ブルーガイド『熊本 阿蘇 湯布院』2011実業之日本社

 

|

« 月明や沖にかかれるコレラ船、日野草城(東京) | トップページ | 幕臣の明治は良二千石、関口隆吉 (江戸・静岡県) »

旅行・地域」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 月明や沖にかかれるコレラ船、日野草城(東京) | トップページ | 幕臣の明治は良二千石、関口隆吉 (江戸・静岡県) »