本ほんご本/ヘボン/沼間守一/フルベッキ
<本>
『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』/ヘボン/沼間守一/フルベッキ
フルベッキ: Verveckアメリカの宣教師・のち明治政府顧問
ヘボン: Hepburnアメリカの宣教師、医師、ヘボン式ローマ字綴りの創案者
沼間守一: 明治のジャーナリスト・政治家・東京横浜毎日新聞社長
柴兄弟の伝記を書くにあたって物語を紡ぐには“調べまくるしかない”と考えました。幸い?誰に頼まれた訳でなし、期限は無く時間はたっぷり。図書館、資料館、兄弟の出身会津はもちろん北は北海道から南は九州まで旅もしました。ところが一ヵ所、資料を見つけられず“聞いたまま”を書きました。それは本編62ページ1行目
沼間は長崎でイギリス人に、横浜でアメリカ人フルベッキについて英語を学んだ。
これについて幕末の英学を研究している人から
「フルベッキはこの時点ではまだ長崎にいたからヘボンの間違いでは? 二人を混同している人は多い」と指摘されました。
さっそくヘボンを調べてみるとありました。フルベッキを調べてもなかった筈です。ご指摘に感謝しつつ、ヘボンと沼野のエピソードをご紹介します。
沼間は幕臣高梨仙太夫の子として江戸牛込に出生、沼間家の養子となる。養父が長崎奉行属員として長崎に赴任、同行してイギリス人に英語を学ぶ。次に横浜で医師を開業したヘボンに入門したが、軍事ばかり勉強しているので破門されかけた。これを沼野の才気を愛したヘボン夫人が取りなし、英語を教えた。(『日本近現代人名辞典』吉川弘文館)
ヘボン夫人がひらいた塾はのちに明治学院となります。ヘボンつながりでいえば「明治の兄弟」には出てないが岸田吟香が有名。ヘボンの辞書編纂を手伝い、のちには目薬を売り出して成功したなど、エピソードに事欠きません。当時は誰を採りあげても波瀾万丈、おもしろく“割愛”するのがたいへんでした。
*これを書いているさなか、岸田吟香のふるさと岡山県美作で突風(竜巻?2009.7.19夕)により大被害というニュースが流れた。
<ほん>
もうすぐ皆既日食が見られると親戚の二人が南の島へ向かいました。夏の盛りで暑いけど当日は晴れるといいですね。行けない私は涼しい図書館で本探し。『明治の兄弟』著者にはたまらない本を見つけました。
『明治もののはじまり事典』(湯本豪一・柏書房)です。絵で見る歴史シリーズというとおり項目毎にイラストや写真つきで明治の雰囲気も感じ取れて興味深い。
他に借りたのは『淀川長治映画ベスト1000』(河出書房新社)です。解説文は “ハイ、淀川です”から始まるが、生前の “サヨナラサヨナラサヨナラ”とともに懐かしい。
「エデンの東」はDVDで見ても未だに切なく娘時代が蘇る。このようにページを繰ると映画の一場面もですが、それを見ていた場所や感情も思い起こされ二重に楽しい。洋画ばかりかと思ったら北野武さん、高倉健さんそして大好きな寅さんこと渥美清さんほか日本映画も入っています。
<ご本>
『寅さんの教育論』 (山田洋次 岩波書店)
結構毛だらけ猫灰だらけ、おしりの回りはクソだらけ
見上げたもんだよ屋根屋のふんどし
四角四面の豆腐屋の娘、色は白いが水くさい
名調子の寅さんが渥美清なのか、渥美清が寅さんなのかもう分からない。分かるのは新しい寅さん映画が観られないこと。平成八年八月八日、ハハハで笑いの日、渥美さんが亡くなったというニュースが流れた。まだ68歳、まるで寅さんを地でいくようにフイと旅出ってしまった。
寅さん=日本人の感があるが寅さんのような人、いそうで居ないと思う。寅さんは自由でいい。でも時おり見せるさびしそうな横顔、自由と引きかえ失くしたものを語っている。まあ、それはおいといて正月とお盆、映画館で寅さんに会ってげらげら笑っているうちに、何だかよく分からないが「世の中、捨てたもんじゃない。ま、元気だしてやっていこう」となる。
寅さん!寅ちゃん!名前を呼ぶだけで可笑しい。なのに『寅さんの教育論』とは堅い。しかし寅さんは寅さんでわずか55ページ「少年寅さんは落ちこぼれだった」で始まる。
「男はつらいよ」の山田監督が渥美清、寅さん、映画作りをやさしい口調で語る。カットの写真からは寅さんの美声が聞こえそう。
(渥美清は)話の上手な人で詩人だなあと思いましたね。描写の仕方がイマジネーション豊かで、聞き手に情景をありありと思い浮かべさせるのです。
車寅次郎の生い立ちはあまり幸せではない。芸者が産んだ子どもで、産みの母の顔は憶えていない。両親も小さいときに死んで、おじさんとおばさんにそだてられたんだけれども、たった一人の肉親の妹がいて、この妹は寅とは似ても似つかぬいい子である。
成績の悪いクラスのお荷物であった少年が、後世、天才的な俳優として寅さんという人間を演ずる・・・・・・一息つきたいとき、大きな役割をもつ・・・・・・寅もその仲間。
筆者は寅さんに泣き笑いし「それをいっちゃぁおしまいよ」を言われないうちは人間まだいけると思っている。渥美清さんのご冥福を祈りつつ。(1996年)
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