本ほんご本
<本>
『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』
Q: 「明治の兄弟」ってどんな本?
A:ペリーの黒船から昭和の敗戦まで百年間の長い物語。本も持ち歩くには分厚くて重い。でもこの一冊で、幕末から明治・大正・昭和まで通しで読め、ヤング・ジャパンが垣間見えます。なお登場人物数百人。
Q: その出身は、兄弟の働きは?
A:戊辰戦争で敗れ賊軍とよばれた会津藩。敗者の運命はは悲惨なものだが、彼ら兄弟は涙をふるって前進、それぞれの仕方で新生日本に尽くした。以下一部を紹介する。 長男・太一郎は京都守護職となった松平容保の手足となって、 公武合体に力を尽くし、時には新撰組をひきいて京を守護した。 四男・東海散士四朗は西南戦争に出征して良き先輩に出会い、アメリカ留学への道が開け、ハーバードとペンシルバニア大学へ。帰国後刊行した『佳人之奇遇』はベストセラーになった。やがて代議士となり明治の議会内外で日本のために奮闘する。 五男・五郎は下北半島恐山の麓で餓死と隣り合わせの生活を耐えているとき恩人に出会い東京に旅立つ。のち軍人となり、義和団事変では大活躍、北京の連合八ヶ国の危機を救う。そのとき五郎は軍人としてはもちろん、良き日本人として欧米人の心に刻まれ、中国人にも慕われた。
<ほん>
大きなけやきの木の下で♪
郊外に引っ越しまず気に入ったのが、道の向こうのひょろっとした三本けやき。それから40年、けやきはどっしり、町を見守っている。 木陰は魅力的だ。幼い子らが走り回るかと思えば、弁当を食べる人もいる。石の階段に座り込んで女子高生が本を開いたり閉じたり、待ち合わせかな? 私はけやきの見える窓辺で、映画「北京の55日」で柴五郎を演じた伊丹十三の本を読むとしよう。 『伊丹十三記念館 ガイドブック』は単なる案内本とは一味違って内容が豊で、なかなか深い。
<ご本>
『シュリーマン旅行記 清国・日本』 (ハインリッヒ・シューマン著/石井和子訳 講談社学術文庫)
近ごろ海外旅行はぜいたく言わなければ国内旅行と変わらず、またはもっと安く行けたりします。その安いシンガポールツアーの折、シンガポールドルを用意せず出かけました。現地で両替、日本円でも買物ができました。英語が不自由でもバスや地下鉄に乗って、サリー姿、中国人ふう男女と様々な人種の乗客を眺めたり、逆に見られたりしながら楽しみました。熱帯植物園ではへそ出しルックの日本人ギャルもいました。気楽なものです。 これが1865年、江戸末期となると、世界旅行はそうかんたんではありません。陸路船旅とも日数と費用は大変なもので、海賊に襲われないとも限りません。勇気と探究心と財力が必要です。それに加え旺盛な情熱をもった旅行者が、ヨーロッパからやってきました。トロイア遺跡の発掘で有名なハインリッヒ・シュリーマンです。 彼は偏見のない目で幕末、一大転換が始まる直前の日本を観察しています。食物、風俗、家庭生活から、将軍の行列まですごい好奇心です。見聞記の行間には日本の良さが表れています。それを誇らしく思うにつけ、今の私たちはシュリーマンの目に映った、良き日本を置き忘れていると思わずにはいられません。
ヨーロッパでは家具類の豪華さを隣人達と競い合うが・・・・来日して豪華な家具調度抜きでも、じゅうぶんやっ ていけるのだとわかった。もし正座に慣れたら、つまり椅子やテーブル、あるいはベッドとしてこの美しいござを用いることに慣れることができたら今と同じくらい快適に生活できるだろう。家族全員が器用に箸を使って、われわれの銀のフォークやナイフでは真似のできないほどすばやく、しかも優雅に食べる。 役人に対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらいなら「切腹」を選ぶのである。
正直なところ思い違いといえる箇所もありますが、見聞記はそれをおぎなって余りあります。文庫本で手になじみやすいし、ぜひどうぞ。
2009.7.1
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