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2009年8月 3日 (月)

本ほんご本:福島安正/山東一郎(直砥)/ニッカボッカの歌

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<本>

『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』/福島安正/山東直砥

 このごろは嫌々勉強する人が多そう、かつて自分もそうだった。読書で夜明かししても勉強は・・・・・・試験前になるとなぜか部屋の掃除がしたくなった。こんな話をその昔、蛍の光で勉学に励んだ人に聞かせたら、情けなくて涙も出ないだろう。
 さて、幕末の動乱も表面上はおさまった明治の初期、戊辰戦争の勝者もだが、敗者の側はさらに学問を身に付けて生きるすべを見つけなければならなかった。
 わが五郎少年は苦労の末、月謝の要らない陸軍幼年学校に入学して食べる心配もなしに勉強できるのを喜んだ。以下本編p107より
 
 教官はすべてフランス人で国語、国史などいっさいなく、九九までフランス語で地理歴史もフランスのだった。食事も洋食でまずいと言う者があったが、五郎にとってはフランス語以外は天国だった。会津弁の五郎にとってフランス語は発音からして難しく笑われた。日本陸軍はのちに新興ドイツに乗りかえるまでフランス式だったのである。
 五郎はよき先輩に恵まれ、自らも寸暇をさいて自習した。もともと温和で正直、よく学問をしたがその勉強ぶりはすさまじい。蛍の光ならぬ、便所の光で猛勉強、反則であったがトイレの石油ランプを利用して勉強した。その甲斐あって、進級してからは優等生の仲間入りをし、フランス語の作文で教師から「トレビアン」とほめられるまでになった。

 四朗の方も早くから英語の勉強を心がけていた。東奥義塾が外国人教師を招聘して教育しているときき入塾したが、学資がないので塾の雑用をしながら学んだ。また東京では沼間守一の英語指南所や山東の北門義塾で学んだ。以下本編91より

 塾は北門社または北門社明治新塾とも。創立者の柳谷藤吉は戊辰戦争のとき兵器を密かに外国人から買って、それを旧幕軍と官軍の双方に売り一万円ほど利益を得た。そこで知人の松本順や山東に相談し学校を創ったのである。
 義塾でははじめ外国人を招いて英学を教えた。塾生募集要項をみると
「月謝は金二両、何人に限らず教えを受けることを欲せば来たり入社すべし、西洋人が英仏独逸学ならびに算術を教授す」とある。
 この北門義塾出身者に、シベリア単騎横断で知られる軍人福島安正がいる。若き日の安正は衣類、書籍を売り払って学資に充てたため、冬も単衣で過ごし、夜は大声で読書をして寒さをしのぐというほど貧しかった。しかしこの塾で外国人から学んだ地理学が中央アジア大陸横断に役立ったという。のちに柴五郎、福島ともに北清事変で大活躍する。

 当時の北門義塾は福沢諭吉の慶應義塾(英学・生徒数三百十三名)、箕作秋平の三叉学舎(英仏学・百六名)、中村敬宇の同人社と並び、東京有数の学校であったが、経営困難となり廃校となった。のちにその隣地に東京専門学校、現早稲田大学が創立される。

 塾長の山東は、西南戦争時に陸奥宗光に組みして兵を挙げ政府転覆を謀るが失敗。陸奥は獄に入ったが、山東は関東に逃れた。のち箱館に行き、ギリシャ正教(神田ニコライ堂)のニコライにロシア語を学ぶ。そして山東は行動だけでなく心境も東奔西走し、はじめ高野山の僧だったのがキリスト教徒として生涯を終えるのである。

<ほん>
 2009年夏の毎日新聞埼玉版「県内のブラジル人学校経営難―――景気悪化で親失業→月謝払えず退学」
 生徒の親の大半は派遣社員などの非正規雇用だったため、昨秋からの景気悪化で次々に失業という記事である。日本とブラジルの架け橋になる子どもたちに厳しい現実が突きつけられている。
 このような記事を目にすると、学ぶことの大切さ、学べることのありがたさを感じなくてはと思う。自戒しつつ孫にも話してみよう。

<ご本>
 『ニッカボッカの歌』定時制高校の青春                              
                                    (南 悟 著   解放出版社)

 俺は今大工の華咲く一五歳足場に上り破風板を打つ
 トンカチで釘打つ仕事の最中に自分の手たたき皮がめくれる
 足場にて可愛い娘見とれ踏みはずし番線からまりニッカびりびり
 やりました仕事みつかりうれしいなぁトンカツ屋さん給料ほしい
 鉄工所だるさ我慢スイッチオン今日も格闘マニシング

 ニッカボッカは建設現場などで見かける作業着。まだ15歳の高一少年たちがこのような仕事の歌を詠んでいます。国語の時間に指を折りつつ短歌を作る生徒たちに、ありのままを詠むようにと促す著者南先生、その授業風景を連休さなかの5月4日、NHKテレビで見た方もあるかもしれません。
 その番組「卒業のうた ― 夜の教室青春の短歌」放映のころ、17歳の空恐ろしい事件が相次ぎました。事件の少年らが神戸工業高校夜間定時制に通っていたなら、そこまで駆り立てられなかったでしょう。なぜか、それは生徒の短歌をよむと察せられます。

 少ししか通えなかった学校に楽しみながら今通ってる
 友だちと遊びほうけたあの頃の自分に見せたい今のがんばり
 まわり道多くの仕事経験しやっと見つけた自分の居場所
 仕事して学校来るのしんどいが友達いるから頑張れるのだ

 今、北海道有珠山の噴火で長い避難生活を強いられている人が多くいます。神戸は5年前大震災に遭いました。自分もそうですが人は離れた地で大きな被害を被った人々を忘れがちです。せめて痛手を負った人を思い遣る心を無くさないようにと<震災を詠む>に思いました。

 手に負へん崩壊家屋数えきれんジャッキアップしまくりまだ五〇軒
 震災で神戸デパート焼け崩れ涙ながらに仕事失う
 かけつける友の住まいは崩れおり生き埋めの友にわれは無力

立ち直りに向け震災二日後、自家の片づけを後回しに18歳少年は新聞配達。

 木枯らしのガレキの中を探し当て吐く息白く新聞配る
「どのような失敗や挫折や障害があるにせよ、それが癒され、人として生きる力が与えられる不思議な学校」読めばあなたも在校生。(2000年)

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