自家製パンは匂いもごちそう
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孫のいる年でもお友だちとおしゃべりは楽しい。たまには少しおしゃれして、パンのおいしいレストランで気取ってお食事します。でも、わが家で気さくなおしゃべりタイムはもっと楽しいです。
友達がくる日は約束の時間に合わせてパンを焼きます。そうすると玄関に入る前から香ばしい匂いがして、食べないうちから美味しい予感。そうなればしめたもの、少々焼きすぎでも不揃いでもおいしいと言ってくれます。
こちらもニコニコ顔をみると張り合いがでて、またどうぞとなります。今日はロールケーキも焼いたのでパンはバタロールにしました。
写真はオーブンから取り出す前のバターロール、せめて匂いだけでもお届けできればなあ。
ところでこの“けやきのブログ”は「本ほんご本」、本のこと明治大正の話が多いです。“パン”を明治から引っぱり出すと、続きは以下です。
谷干城・伊藤博文・原敬
19世紀日本は文明開化にいそがしかった。でもあまりに西洋化を急いだため社会にひずみが出て、政府のやりかたに反対の人物が政府の中にもいた。農商務大臣・谷干城(西南戦争で熊本城を西郷軍の攻撃から守りきった将軍)その人である。
ときの総理・伊藤博文は谷農商務相を煙たく思い、西洋文化にふれさせて谷を懐柔しようとして谷干城に欧米巡回視察を命じた。
軍人でもあり農商務大臣でもある谷は秘書官柴四朗ら一行と共にじつに精力的にヨーロッパを視察し、2年後アメリカ経由で帰国する。その視察報告や谷の日記をよむとその行程の密なのと充実しているのに驚かされる。昨今の議員の海外視察とはえらい違いである。
谷の一行はフランスに至るとこのとき公使館書記官だった後の平民宰相・原敬の案内でパリほか各地を視察見学した。そのある日は以下のようである。
1886(明治19)年5月。 さて次はハーブル(ル‐アーブル)へ。一行は汽車でセーヌ川河口のハーブル港に着くと日本が注文した軍艦畝傍(うねび)を見物した。この先は各地を回ってからオーストリアに赴く予定で六月、見学したのは倉庫会社・ブグアン所有の製造所(鉄道に関する機器・蒸気機関)・パン・ビール製造所・牧場。リヨンの商法裁判所・商法会議所・博物館、そして織物工場であるが、リヨンは織物がさかんで日本の生糸はもっぱらこのリヨンに輸出された。
(『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』第4章より)
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