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2009年10月 4日 (日)

赤い羽根、エルトゥールル号義捐金

 2009.10.2深夜、2016年のオリンピック開催地決定の中継をみた。東京は2回目の投票で落選、がっかり、ホッと、どっちが多いのかな。
 決定したのはリオデジャネイロ。朝刊には【リオ五輪、熱狂の渦・5万人がサンバ】の見出し、南米初のオリンピック決定に喜びを爆発させているブラジル人が紙面に踊っている。

 今やテレビ中継のおかげで錯覚かも知れないが世界の国々が近くなっている。ただし中継は明るい話題よりも厳しい現実を、また大きな災害を映し出す。何といっても恐ろしいのが戦争のニュースだ。子どもの犠牲者も多い。
 折しも「ユニセフ・マンスリーサポートプログラム」の案内と申込用紙が送られてきた。年金暮らしなのでささやかな金額を書いて申し込んだ。

 寄附といえばだいぶ前に赤い羽根共同募金の箱をさげて駅前に立ったことがある。慣れないことでもあり下を向いて「お願いしまーす」。声も小さいのに千円札を入れてくれた人がいた。そして「お母さん」、顔を上げると市内に住む娘の旦那さんだった。
 嬉しい偶然にそれからは「共同募金お願いします」が元気に言えて、募金をしてくれる人が何人もいた。この季節になると、人のやさしさを思い出す。

 明治の昔も助け合いの精神はもちろんあった。なかでもトルコのために義捐金を募り、届けた話がある。山田寅次郎エルトゥールル号、ご存じだろうか。次をどうぞ。
 

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   エルトゥールル号の悲劇
 
 1890(明治23)年9月、トルコから一隻の船が日本にやってきた。皇帝から明治天皇への親書と勲章を献上するトルコの軍艦エルトゥールル号である。

 来日した総司令官オスマン・パシャは明治天皇に拝謁しトルコ帝からの勲章と記念の品々を献上した。そのあと一行は多くの宴会に招かれ、西欧の海軍将官らとも面会した。柴四朗もどこかの宴会場で、かつてトルコで面会したオスマンに再会しただろう。
 大任を果し帰ろうとしたその矢先、エルトールル号紀州沖の大島村樫野崎で嵐の海にのみこまれてしまった。

 死者は総司令官・船長ほか587人、助かったのはわずか69人であった。生存者は村人の手厚い看護を受け、神戸の病院で治療を受けた。日本政府は生存者を日本の軍艦「金剛」「比叡」でイスタンブールへ移送した。

 エルトゥールル号事件は県知事から東京に知らされ、新聞各紙は号外を発行、また義捐金を募集した。義捐金は多く集まり中でも『時事新報』は4200円余を集め、野田正太郎が「比叡」に乗込みイスタンブールへ持参し、トルコ航海記を掲載した。
 もう一人、義捐金を届けたのが山田寅次郎でテレビで取りあげられたこともあり、知る人もあるだろう。

 エルトゥールル号の悲劇はトルコ人の心に深く刻まれ、この事故をきっかけに日本人との友情が芽生え、それは今も続いている。その証といえるのが、イラク・イラン戦争のさなか日本人500人を空爆のテヘランから救出してくれたトルコ航空機である。
      (『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』より)

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