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2009年11月23日 (月)

田英夫さん、田健治郎台湾総督

 2009年11月13日 参院議員を34年間務めたハト派の論客田英夫さんが死去した。
 田さんはニュースキャスターの草分けとして活躍、一見はなやかに見える。でも「平和のために議員になった」という言葉に真実が感じられる。それは多くの仲間を失った特攻隊の経験が原点にあるからかもしれない。

 ちょうど一年前「この国はどこへ行こうとしているのか」(2008.11.2毎日新聞夕刊)のインタビューを読んだ。
 “大半の人たちには戦争のイメージがわかない”のですねと憲法のこと、軍隊のことについて日本を心配していた。その心配に全く同感で
「小学生の孫が戦争にとられる日が来たら」と想像してぞっとした。
 特攻隊員で終戦を迎えた田さんはひょうひょうとして穏やかでいながら強い信念で、平和主義、護憲、言論の自由を貫いた。

 田英夫さんの祖父は明治・大正期の官僚・政治家で台湾総督も務めた田健治郎)である。写真は『台湾総督府』(黄昭堂・教育社)から。Photo_26

 原敬内閣の時、それまで台湾総督は軍人だったが文官総督制がしかれ、最初の文人総督として田健治郎が任命された。文官総督が任用されたことで台湾軍司令部官制がしかれ柴五郎陸軍大将が軍司令官として赴任した。
 田健治郎と柴五郎は台湾で総督と軍司令官として協力しつつ任務を果たしたが、日本国内に戻ってからも家族ぐるみの交際をしていた(柴五郎次女・春子談)。

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 台湾は日清戦争後、日本の領土となり、昭和20年の敗戦までその統治が続いた。
 台湾統治をめぐっては植民政策など様々な議論があった。内地の延長・植民地ではない新領土として統治・植民政策などなど明確な方針がなかった。また、歴代の総督が頭を悩ませたのは、原住民の抵抗や反抗が激しく、ゲリラの抵抗をいかに平定するかであった。

 1896(明治29)年3月、日本政府は
「台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」を公布し軍政から民政にもどした。これに基づき台湾総督は、立法・司法・行政の三権を一手に掌握し、台湾住民に君臨した。現地人の官吏を登用せず西欧からも反発があった。

 台湾植民地文官総督が認められると、陸軍大将明石元二郎総督の死から五日後には早くも田健治郎が後任の台湾総督に任命された。
 初の文官総督田健治郎は原敬とともに、日清戦争が終わってすぐから台湾事務局の委員として台湾統治の基本政策の立案に参画しており、原の同化政策を支持していた。
 田総督は11月6日東京駅を出発、8日馬関から定期船備後丸に乗り11日、基隆港の基隆税関波止場に上陸した。着任した田総督はまず台湾各地、水道の源泉地、市内の造営物などを視察した。

 ところで、これまで総督すなわち軍司令官であったが文官総督と軍司令官に分かれると宮中席次問題がおこった。
 陸海軍大将は総督の上席という決まりであるが、これだと田総督は柴軍司令官の下に着席することになる。しかし台湾総督は台湾における最高の権威であって、天皇の代理として一切の権力を握って台湾島民に臨むものであったから、上席でないとまずい。
 原首相はこの件を内閣などに相談、また五郎に対しても田総督に内訓した趣旨を話し、かつ
「今回始めて文武官分れたる事に付、両間の調和には配慮ありたし」と告げた。五郎は
「言うまでもない」と了承した。
 この事を五郎は後任の福田軍司令官に申し送りをし福田大将もそれを守ったが、後になるとこの問題が表面化し露骨な反目があった。
     (『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』台湾総督府ヨリ)

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コメント

田英夫さんの情報ありがとうございました、私の祖父は田総督の下で当時内務局長をやっていた相賀照郷です。昨年日比谷図書館でたまたま出会った内田嘉吉文庫の蔵書の中に祖父の名前を見付けて初めて知った次第です。祖父は私が生まれる前に亡くなっていますので写真でしか知りません。祖母から祖父の話は聞いていたのですが佐世保の市長をしていたということしか知らされていませんでした。60歳を過ぎて知った事実に今台湾関連の書籍を色々と読んでいます。台湾では八田與一という土木技師が一番有名な日本人であることも知りました。八田氏を日本から呼び寄せたのが当時土木局長をしていた祖父なのではないかと現在調べています。中京大学の資料にそのような記事が載っていました。キャスターとしての田さんは非常にリベラルな感じで好感を持っていましたが、どこかで繋がっているのだなとと思って一昔前の日本の歴史を知ることの面白さに今後の人生の時間を割こうと思っています。今後色々ご教示戴ければ幸いです。

投稿: 相賀照叡 | 2013年1月21日 (月) 23時41分

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