大村益次郎像制作者・大熊氏広略伝
折おり東京谷中にお墓参りに行く。帰りはたいてい上野公園を抜け広小路に出て食事をしたり映画をみたり、たまに鈴本演芸場で落語を楽しむ。不信心でご先祖様に申し訳ないがこっちが楽しみ。
今年の秋分の日はJR日暮里駅からすぐの天王寺(夫の先祖が享保年間に住職)と、実家の墓がある感応寺(渋江抽斎の墓所)にお参りした。この日は上野公園内の奏楽堂でバロックコンサートを楽しんだ。
旧東京音楽学校奏楽堂といえば、かの幸田姉妹、滝廉太郎が思い浮かび明治が身近に感じられる。コンサートの余韻と明治の音楽家を思いつつ奏楽堂を後にすると動物園の前にでた。園の手前に騎馬像があるが、仰ぎ見る人は少なく明治は遠くなりにけりである。
この銅像は明治末に製作された小松宮彰仁親王像、作者は大熊氏広といい多くの作品がある。作品中もっとも有名なのが靖国神社参道の大村益次郎像で日本初の本格的な西洋式のブロンズ像である。
作者に指名された当時の大熊は、まだ工部美術学校卒業後3年という新進彫刻家だったが、かつて工部卿をつとめた山田顕義の力があって指名されたともいう。
大熊氏広は1856(安政3)年、東京に隣接する武蔵国足立郡中居村八幡木(現鳩ヶ谷市)に生まれた。父は俳号をもち、祖父の良平も学芸を好み文人や画家と交流があり、兄徳太郎は篤農家として名を成し緑綬褒章を得ている。少年時代は日本画を学び16歳のとき模写した「酒呑童子絵巻」が残っている。
氏広略伝については続きをどうぞ。
1888(明治21)年3月、大熊氏広32歳はヨーロッパへと旅だった。まずフランスで彫刻の大家ファルギエール・パリ美術学校教授の指導をうけた後、ドイツ、オーストリアをまわってイタリアへ向かった。
イタリアではローマ美術学校に一年間在籍しアグレッティ、タドリーニらの彫刻家に学び、特別にイタリアを代表するジュリオ・モンテヴェルデの指導を受けた。
モンテヴェルデからは騎馬銅像の制作を学び、その指導を受けつつイタリア皇后マルゲリータの肖像を制作した。翌年9月、大熊はローマ美術学校修業証書を得て、ドイツ、オーストリアを回り年末、フランス経由で帰国した。
留学中は学校で学ぶかたわら数多くの美術作品をみて研究した。ミケランジェロ「モーセ」「ロレンツォ墓碑」のスケッチなどがある。またフランス留学中には黒田清輝、久米桂一郎と、ドイツでは森鷗外らと親交を結んだ。
帰国後、大熊は西洋画家たちが結成した「明治美術会」に加入したが、伝統美術の擁護を主張する「日本美術協会」(龍池会の後進)にも加わっている。
明治20年代から30年代にかけての美術界は岡倉天心らによる伝統美術復興の動きがあるなかで、再び西洋画家たちが力を盛り返そうとする時代でもあった。
1890(明治23)年いよいよ大村益次郎像にとりかかり原寸大の石膏原型に着手、翌年砲兵工廠で鋳造を開始した。
1893(明治26)年2月落成式を迎え華々しく報道された(「大村兵部大輔銅像落成式」東京日日新聞M26.2.7)。西洋式の銅像は社会的にも話題になり、東京の新名所にもなった。
大熊は数々の銅像製作にあたる傍ら、内国勧業博覧会をはじめ内外の審査官に選ばれ、日本で初めての官設美術展、文部省美術展覧会(文展)審査委員を長年つとめた。第3回審査委員には高村光雲の名がある。
ラグーザの死後日本に帰っていたラグーザ夫人お玉は晩年の大熊の元を訪れている。木村毅『ラグーザお玉自叙伝』(恒文社)によれば、元のラグーザ教授の弟子の遺老達は月一回会食をしていたが、ラグーザはイタリアに帰ると日本人生徒の名を殆ど忘れてしまった。しかし大熊だけは覚えていたという。
1934(昭和9)年3月、大熊は急性肺炎にかかりそのまま帰らぬ人となった。78歳で没するまで100を超える作品を残した。製作した肖像、銅像人物からは明治史の一面がかいま見える。
以下、【鳩ヶ谷市立郷土資料館特別展図録「大熊氏広・人と作品」近代彫刻の先駆者(平成7.10.14)の作品一覧】から作品を制作順に一部抜粋。
<銅像>
山田顕義・大村益次郎・伊藤博文2体・福沢諭吉(大小)・北里柴三郎・岩崎弥之助・井上馨・日清戦争記念碑・岩崎弥太郎・佐野常民・山県有朋・瓜生岩子・大橋佐平・有栖川宮熾仁親王・八甲田山雪中行軍記念像・川上操六・佐々木高行・台湾警察官招魂碑レリーフ・後藤新平・ライオン牡牝像(東京国立博物館表慶館)・小松宮彰仁親王・伏見宮貞愛親王・野津道貫・日露戦役記念レリーフ・徳川篤敬・浅野総一郎・伊能忠敬・佐野常民・本田庸一・高松宮宣仁親王etc
<肖像>
松本良順・木戸孝允・三条実美・板垣退助・大久保利通・牧野伸顕・岩崎久弥・前田正名・近藤廉平etc
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コメント
静岡県小山町に大熊氏広制作の日比谷平左衛門の立像の銅像がありました。戦時中に金属として供出してしまい、今は台座のみが残っている状態です。何とか復元したいのですが写真だけでは難しく、できれば原型、模型が残っているとよいのです。お心当たりのある方ご連絡お待ちしております。
投稿: 溝口久 | 2016年3月 7日 (月) 14時20分