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2010年1月 8日 (金)

上海ヨリ、孫文と柴五郎報告

 NHKテレビでドラマ「蒼穹の昴」の案内番組があった。原作を読んでないので柴五郎が登場しているのを知らなかった。義和団事変の場面とかもあるのだろうか?
 大好きな柴五郎と聞いてなにか書きたくなったが、急には思いつかず以前書いた記事(セカンドライフ2009.9.12)を載せてみました。
 
     見てみたい映画「孫文」

 新聞に「孫文・100年先を見た男」という映画の紹介がのっていた。副題の“100年先をみた男”は孫文にぴったりだと思った。
 孫文は革命に失敗しアメリカほか海外に亡命、日本にも何度か来ましたからその足跡が残っています。東京での隠れ家を史跡見学会で訪れたとき、そこが国会議事堂に近いのでびっくりしました。警察が出入りを見張りその記録からいろいろ分かるようです。

 隠れ家の場所から察するに政府は孫文が隠れているのを見て見ぬ振り、孫文の世となった暁には得るところ大です。それはそれとして「北の袁世凱政権」を支持する政府の意向と反対に日本の世論は「南の革命家孫文」を支持した。
 当時の世論や資料、孫文にかかわった日本人の思想や行動をみると、その方法の良し悪しはおいて、現代の私たちより「アジア」を身近にしかも深く考えていたように見える。

 その当時上海は大きな開港場でイギリス・ロシア・アメリカなど各国の軍艦がたくさん浮かんでいた。その上海に柴五郎陸軍少将が赴いて、その情勢を参謀本部に報告したのである。写真はアジア歴史資料センターの資料から、諜報電報。写真のは解読されているが暗号電報のママの資料もある。

 柴五郎の諜報報告、電報の数々は外務省外交資料館の資料でみられます。自分も何度か外交資料館にいきましたが、今はアジア歴史資料センターのネットで見られます。日本の近代史全般、特定の事件や人物に興味のある方には生の資料がみられてお勧めです。

     革命未だならず

 100年先の中国を考えて革命に生きた孫文の足跡を簡単に記すことはとてもできない。有名な最後の言葉を紹介する。

 1924(大正13)年、広東から北京に向かう途中、神戸に立ち寄った孫文は大アジア主義を演説、日本の対華政策に警告を発した。このおり門司から、国民党に財政的援助を惜しまなかった日本人実業家の梅屋庄吉にあてて次のような電報を出した。
「帰国滞在中各位のご厚意を感謝し、今後も全アジア民族の復興のためご協力を切望し併せてご健全を祈る」と。孫文の来日はこれが最後で翌1925年3月12日、
「革命いまだ成功せず」の遺言をのこし、波乱の革命家は世を去った。

   (『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』より)

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