『武士の家計簿』加賀半御用算者の幕末維新
「花は桜木、人は武士」
「武士は食わねど高楊枝」
これらは武士のイメージを広く伝えている。しかし磯田道史『武士の家計簿』(新潮新書)は、武士も人の子、地道に生活していたことを改めて教えてくれた。
著者は、あまりわかっていない武士の暮らし、ふところぐあいを37年余の家計簿から読み解いている。
幕末から明治というものすごい社会変動の時代を生き抜いた加賀百万石の算盤係、加賀藩御用算者の幕末維新の話で英雄豪傑ではないのにおもしろい。
家計簿のつけはじめ天保13(1842)年はといえば、幕府は「異国船打払令を止め薪水食料の給与を許す」いっぽうで川越・忍両藩に房総警備を命じた。それはアメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが軍艦4隻をひきいて浦賀にやってくる11年前である。
そして家計簿は長い歳月をへて明治12(1879)年5月で終わっているが、この年は各地の民権派士族が大阪にあつまり愛国社大会を開催している。
著者は黒船来航の前から明治維新、戊辰戦争、西南戦争をへて自由民権、国会開設運動が盛んになるまでの激動の37年間の「武士の財布」を読み解いて興味深い。
読み終わって前に『元禄御畳奉行の日記』神坂次郎(中公新書)を面白く読んだのを思い出した。どっちも現在の我々が直面しているような問題や、生活の歴史が垣間見えて身近に感じられおもしろいのだろう。
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