« 『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』 | トップページ | 幕末の外交官アーネスト・サトウ »

2010年3月22日 (月)

文学、歴史は墓めぐりから/森鷗外ほか

  春の彼岸、夫婦で墓参りしたその夕、テレビに雑司ヶ谷霊園夏目漱石の墓が映っていた。「このごろ有名人のお墓探訪が流行っている」そうで、夏目漱石や竹久夢二の墓前には人が多い。
 実家の菩提寺、谷中・感応寺には渋江抽斎の墓があり時に歴史散歩のグループに出くわす。森鷗外史伝の傑作『渋江抽斎』を読んだ人もあるだろう。
 史伝は鷗外が独自の方法で新しいジャンルをひらいたともいわれる。森鷗外は軍人の道を全うしつつ文学にも大きな足跡をのこした。夏目漱石と並んで近代日本文学の二巨峰となり大きな源流となった。

 森鷗外の墓は三鷹・禅林寺にあるが、その向かいは太宰治の墓でイマドキ人気があり花が絶えないよう。自分が鷗外の墓所に参ったときもこちらはひっそり、あちらは賑わっていた。
 はじめから二つの墓が近くにあったとは思えない。同じ文学とはいえ「全くふうの違う」二人、愛読者ファン層も異なるだろうになぜ並べたのか、心ない気がする。
 ちなみに鷗外は軍人として頂点にのぼり、病が重いとき天皇皇后より葡萄酒を下賜され、従二位に叙せられたほど立身出世した。しかし墓標は「森林太郎墓」とのみ彫られている。なぜか、興味を抱いた人は伝記か全集をどうぞ。

 著名人の墓に参ると故人に近づいた気がし、作品や生涯に親しみがわく。さてその墓地がどこにあるか、知るには近ごろはインターネットが手っ取り早い。でも案内書も捨てがたい。
 手元の『探訪江戸明治名士の墓』(千鹿野茂・新人物往来社)のキャッチコピーは
<ここに歴史眠る。江戸明治の名士1500人の墓を踏査、絶好の歴史散歩ガイド!>
 暑さ寒さも彼岸まで、これから花と緑と歴史と文学と散歩日和ですね。

|

« 『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』 | トップページ | 幕末の外交官アーネスト・サトウ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 文学、歴史は墓めぐりから/森鷗外ほか:

« 『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』 | トップページ | 幕末の外交官アーネスト・サトウ »