西郷星
写真は夏至の夕方、茜色に染まった西空です。昼がもっとも長い日、夕方7時でもこんなに明るい。台所の窓が西向きで、夕焼けがよく見える。
それに暮れなずむ空の青が素敵だったりするとつい外に出る。下方がオレンジで上空にブルーの濃淡があるとステキ。そこに飛行機雲が一筋あったらもっといい。(ステキは“をかし”としたいけど清少納言じゃないからねえ)。
空をぼんやり眺めている時間が好き、こういうのって案外幸せなんじゃないかな?なんていつまでも空を仰いでいると、蚊に刺されて我に返る。ご飯の支度しなくちゃ。
夕空もいいけど夜空もね。特にいま、宇宙に7年もいた「はやぶさ」が数々の試練をのりこえて帰還のニュースが私たちの目を夜空に向けさせる。小惑星探査機はやぶさは科学先端技術の結晶、にもかかわらずロマンを感じさせてくれるところがいい。
ところで星はいつの時代でも人の願いや懐いを映す鏡の一つと思う。明治10年西南戦争後の夜空に西郷星が輝いたそうで、当時の新聞から二つ。
「輝く西郷星」
去る3日の大阪日報に、この節2時頃、辰巳の方に現れる赫色の星を望遠鏡でよく見ると、西郷隆盛が陸軍大将の官服を着ている体に見ゆると・・・銀座通りでも日本橋近傍でも2、3人ずつ寄り合っては空を仰いで、ヘェーあの星ですか、いかさま光が別段ですとか囁いているのを聞きました(東京絵入新聞)。「西郷星は火星」
世の婦女子が西郷星といい囃せし行星マールス(火星)に一小星の陪随せることを、米国の大博士が去る8月16日夜、発見されしが、至って小さき星ゆえ・・・もし見えたなら、たぶん桐野星とでも申して立ち騒ぎましたろう(郵便報知)。
砲火が止むまで8ヶ月もかかった西南戦争、長かった戦争で新聞各紙は発行部数をのばした。戦場は遠く、通信も未発達で虚実入れ乱れていたが、人々は新聞で情報を得た。西南戦争後、みんなの西郷隆盛を惜しむ気持ちが「西郷星」となって現れ、新聞各紙も記事にしたのだろう。
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