勝海舟の父が書いた自叙伝『夢酔独言』
テレビの「龍馬伝」が人気で近ごろは勝海舟がたびたび登場している。勝海舟はその活躍と共に数々のエピソードでも幕末のドラマに欠かせない人物といえそう。
その勝海舟(麟太郎)の父は勝左衛門太郎、通称小吉といい幕府の御家人であった。彼が今に名を残しているのは海舟の父であるのもだが、自叙伝『夢酔独言』(東洋文庫ほか)の著者だからかもしれない。小吉が49歳で死去した3年後にペリーが黒船でやってくるが、伝記は当時の庶民の記録にもなっている。
江戸で有数の剣客だった小吉だが不良旗本、放蕩児、あばれ者、顔役、露天商人の親分で刀剣のブローカー、ついには隠居謹慎を仰せつけられ、隠居仕事に『夢酔独言』を書いた。
おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまり有るまいとおもふ・・・・と本人も認める「あんまりくだらない生涯」だから子々孫々のいましめの為にと淡々と綴っている。こんな主をもったら実家へ逃げ帰ると呆れたり、でも感心することも。ほんとにめちゃくちゃだが憎めない。
・・・・・生涯不良で一貫したご家人くずれの剣術使いの伝記、行間に不思議な妖気を放ちながら休みなく流れているものが一つある。それは実に「いつでも死ねる」という確乎不抜、大胆不敵な魂なのだった(坂口安吾)
ときに、『夢酔独言』に18歳の小吉が「兄と越後蒲原郡水原の陣屋へ行った」というくだりがあるが、それから50年後に戊辰戦争があり「水原」に軍議所が置かれる。
会津藩、柴太一郎は越後方面総督一瀬要人の軍事奉行添役として出陣、水原にある軍議所に参謀として詰めたのである。弟の柴五三郎も越後詰を命ぜられ、五十人をひきいて越後に赴いた。このとき兄弟の叔父柴守三も出戦した。
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