緑色の憂愁/寺田寅彦と夏目漱石
いよいよ梅雨の季節となった。猫の額のわが庭では白いアジサイの花冠が風に揺れている。やや緑がかった白い花かんむりは梅雨時ならではの目の保養だ。この白はなかなか素敵だと思いつつもいい表現ができない。
そんな折しも「黒色のほがらかさ」「緑色の憂愁」ということばに出会った。すぐれた自然科学者で、なおかつ偉大な文学者だからできる表現ではないだろうか。
「青磁のモンタージュ」 寺田寅彦随筆集より
「黒色のほがらかさ」ともいうものの象徴が黒楽(くろらく)の陶器だとすると、「緑色の憂愁」のシンボルはさしむき青磁であろう。前者の豪健闊達に対して後者にはどこか女性的なセンチメンタリズムのにおいがある。それでたぶん、年じゅう胃が悪くて時どき神経衰弱に見舞われる自分のような人間には楽焼きの明るさも恋しいがまた同時に青磁にも自然の同情があるかもしれない。
故夏目漱石先生も青磁の好きな人間の仲間であったが、先生も胃が悪くて神経衰弱であったのである。(後略)
「緑色の憂愁」をなんて素敵と単純に感心した。でもよく読んで生意気言えば、形と色彩、物の心、向き合う人の気持ちまで、やさしい言葉で伝えてすごいと思う。
寅彦の文には師の漱石が登場するが、漱石も門下の中で寅彦を愛した。『我が輩は猫である』の水島寒月、『三四郎』の野々宮宗八は、漱石が門下の中でも畏敬した寅彦の面影を伝えているという。
漱石は一部の人にはたいそうこわい先生だったが、寅彦には「ちっともこわくない、最も親しいなつかしい先生だった」という。後世の私たちは優れた師弟の交流をも愉しめる。
*近ごろ寺田寅彦にはまって 三本けやき http://09keyaki.blog104.fc2.com/
の方も寅彦がらみです。御用とお急ぎでない方はよろしくごらんください。
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