日露の将帥若かった
この夏は猛暑、酷暑の日々で熱中症で病院に搬送される人がかなりいる。亡くなった人は高齢者が多いという。高齢者と言えば近頃は100歳以上の戸籍生存者の記録更新が続いている。
もう一つのブログ「けやきの便り」http://blogs.yahoo.co.jp/keyaki_natu10 に「武者小路実篤が生きていれば125歳」を書いたら、次に149歳が・・・今度は149年前はどんな時代か書いてみた。でもまだ止まらない186歳だって!あきれるしかない。
年金詐取で逮捕者も出る騒ぎになっている。お役所の怠慢なのか、人間関係が壊れてしまっているのか、それこそ非道い話だ。人の死ってどういうことなのか、考えさせられる。
いま106歳、生存者もおられる1904(明治37)年は日露戦争のさなかであった。夏8月から9月にかけて黄海海戦、第1回旅順総攻撃、遼陽会戦、10月沙河会戦、再度旅順総攻撃と戦い続ける。
翌年8月、ポーツマスで日露講和会議開催、講和に至るまで日本、ロシア双方とも戦死者は12万人前後になる。この数だけ父や兄弟を喪った家庭があるのだ。きっと戦場となった朝鮮や中国の人々の被害も大変なものだろう。
年齢の話から日露戦争を指揮した将官はその時何歳だったのだろうと気になり見てみた。
「参戦陸軍将校当時の職務と年齢」明治37.7.1
参謀総長 元帥 山県有朋 66
満州軍総司令官 元帥 大山巌 61
満州軍総参謀長 大将 児玉源太郎 52
陸軍大臣・教育総監 中将 寺内正毅 52
第四軍参謀長 少将 上原勇作 49
野砲第一旅団長 少将 内山小二郎 44
第一軍参謀長 少将 藤井茂太 53(43)
騎一旅団長 少将 秋山好古 54(44)
野砲十五聯隊長 砲大佐 柴五郎 43
第三軍副官 歩少佐 町田経宇 38
『機密日露戦争』より()内数字は筆者
ちなみに1894(明治27)年8月1日清国に宣戦布告、日清戦争である。夏と戦争はいつの時代もなのか。
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