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2010年8月12日 (木)

『静かな大地』と歴史の裏表

   少し前に北海道に行き「松前城と開陽丸」「江差を歩けば歴史がよみがえる」を書いた。歴史ツアーで与えられるまま?古くからある屏風絵や復元された街並みを楽しんで帰ってきた。
 ところで何気なく手にした『静かな大地』(池澤夏樹朝日新聞社)を読み、見学した松前、江差は歴史のほんの一部だと気付かされた。

 『静かな大地』は本土の淡路から北海道に移住した宗形三郎兄弟がアイヌの智慧と協力を得て開拓に励み、牧場を開き共に生きていく物語。でも、その結末は<今はなき大地を偲ぶ島梟(しまふくろう)の嘆きの歌>が虚しい。

――あの頃は山に木が生えていた。(略)千島笹は北の風にさわさわと鳴り、日当たりのよい丘の辺には柳蘭が赤い花を散らした。 (中略)
――今はみないなくなった。山に木はなく、川にははなく、山には鹿はなく、狼もなく、アイヌもいない。誰もいない何もない山に風が吹くばかり。今はわたしたちの嘆きの歌がこだまするばかり。

 江差町郷土資料館は「旧檜山町爾志郡役所」で瀟洒な洋館二階建て、その前身は支庁と警察署を兼ね行政と司法が同居していた。次は『静かな大地』の一場面。
 アイヌの葬儀で亡くなったアイヌのチセ(家)を焼く習いがあったが、明治政府は禁じた。が、あるとき実行された。疑われたアイヌは戸長役場に呼び出され同居の警察で拷問を受ける。そればかりかアイヌをかばった和人、静内の戸長まで勤めた宗形三郎も追いつめられ、やがて死を早める。

 話が前後するが物語のはじめはアイヌの生き様がいきいきと描かれ、三郎、志郎兄弟とともに読者の私も感心することが多かった。自然を敬い溶け込んで暮らしていたアイヌ、だが日露戦争がおきると兵隊にとられ、出征させられた。
 2泊3日のツアーでアイヌのアの字もなかったが、北海道はもともとアイヌが先住していたのだ。歴史の事実は変わらない、でも知ることは難しい。そして伝え方はなお難しい。うかうかしてると観光の歴史観?で満足してしまう。
 ともあれ歴史を見る、語る、その立ち位置に注意しようと考えさせられた『静かな大地』だった。

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