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2010年9月29日 (水)

秋刀魚の歌(佐藤春夫)

 あはれ 秋風よ 情あらば伝へてよ
―――男ありて 今日の夕餉に ひとり
さんまを食(クラ)ひて 思ひにふける と。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸(ス)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて 女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は、
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(ハラ)をくれむと言ふにあらずや。

あはれ 秋風よ 汝こそ見つらめ
世のつねならぬかの団欒(マドイ)を。
いかに 秋風よ いとせめて
証(アカシ)せよ、かの一ときの団欒ゆめに非ず、と。

あはれ 秋風よ 情あらばつたえてよ、
夫に去られざりし妻と 
父を失はざりし幼児とに 伝へてよ
―――男ありて 今日の夕餉に ひとり
さんまを食(クラ)ひて 涙ながす、と。

さんま、さんま、
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あわれ げにそは問はまほしくをかし。
          (詩集『我が一九二二年』より)

 今年はサンマが不漁でシーズンになっても高値だが、サンマはサンマ、鯛やマグロのように高くない。夕食のおかずに悩んだらサンマ、調理もかんたん焼けばいい。サンマを焼くと「サンマ苦いかしょっぱいか」のフレーズが浮かぶ。

 一人の男が秋風の吹きぬける部屋で、寂しくサンマを食べている。そして過ぎし日の悲しい思い出にふけっている。なんという悲しい詩だろう。庶民の味サンマも詩人の手にかかればドラマの重要物となり、感慨と共感を呼ぶ。(参考『現代詩読本』村野四郎)。
 ちなみに佐藤春夫(詩人・小説家1892~1964)は谷崎潤一郎の夫人の千代子と恋愛関係にあったが別れる。そのあたりから人生に沈潜して悲哀を歌う詩人になったという。作品『小説高村光太郎』『小説永井荷風伝』など。

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