三浦襄、インドネシア独立のために
昨日、インドネシア・バリ島から帰ってきた。 [ アディダス契約アドバイザー 中野ジェームズ修一と行く“スポーツキャンプinバリ島”6日間コース]
バランスボール教室の縁で参加した。 ツアー名からスポーツウーマン?と誤解されそうですが、頑張ってないので大丈夫。帰国翌日のバランスボール教室、夫婦とも出席した。
海外だからせめてバリの歴史をちょっとでもと、ガイドブックを手にした。バリがオランダの植民地だったと知っていたけど、日本がバリ島を過酷に支配したのは知らなかった。まして三浦襄というすばらしい日本人がいて、バリ人に慕われていたことも。 手元の人名辞典に見当たらないが、いつか三浦襄を調べてみたい。
写真はバリの町を走るバイクを車の中から写した。バイクが縦横に町を走り、3人乗りも珍しくない。 次は「地球の歩き方から引用。
太平洋戦争と独立闘争
太平洋戦争がはじまり、旧日本軍は蘭印(オランダ領インド)侵攻作戦の一環として1942(昭和17)2月にサヌールに上陸し、バリ島を支配下においた。日本の支配はオランダの支配より過酷なものだった。
ただし、日本人の中にはバリ社会の向上やインドネシア独立のために尽力した三浦襄のような人物もいた。彼は民政官として調整に奔走したが、バリ島民に占領下の無理強いを謝罪し、日本敗戦後に自殺している(彼の葬儀には1万人ものバリ人が集まったという)。
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