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2010年11月 4日 (木)

『手紙屋・蛍雪篇』&『寅さんの教育論』

 人に勧められて『手紙屋・蛍雪篇』(喜多川泰/ディスカバー・トゥエンティワン)を読んだ。この本は勉強して少しでもいい大学に入るといい人生が待っているよと言ってる。親や先生からしたら良い本だと思う。もちろん受験生にもね。いいこと書いてるなあと思うが、自分には響いてこない。何でだろうと考えてみた。
 きっと、自分は何でもかんでも大学に行かなくても良いと思ってるからかも知れない。どちらかと言えば勉強は好きな方で、40代で通信制大学に入り4年で卒業した。行きたくて行った大学だから勉強は苦にならず、苦手な英語も必死で単位を取った。卒論のため史資料を漁るうち学問はこうしてするのかと楽しいくらいだったほどだけれど。

 ところで『手紙屋』さんは世間一般でなく、受験生に向けて便りを出しているような気がする。勉強しなくちゃいけないのに「かったるいなあ」と怠けてる人に、いい会社にらないといい暮らしができないと現実を教える。

 裕福とはいえなくも幸せな生活でいいと思う自分には『寅さんの教育論』(山田洋次岩波ブックレット)が向いている。
 「寅さん」と「蛍雪」を並べるのはどうかと思わないでもない。学ぶもの、勉強のやり方や対象が異なる。でも、寅さん唄う「奮闘努力の甲斐もないく」が身につまされる者としては、寅さんの教育論に頷いてしまう。それを全部書き写す訳にもいかないので目次と本文を少し抜き出しておく。

―――少年寅さんは落ちこぼれだった/寅さんを育てたもの/寅さんのやさしさ/映画はみんなでつくる/映画づくりと子どもの遊び/映画作りと人間教育/寅さんの学校批判/「奮闘努力」の家庭教育―――

 ・・・・・・子どもが自信をつけるということは、自分の意志で行動し、ぶつかって失敗したりしながら、そこを乗り越えたときにつかんでいくわけでしょう。子どもは、いつも大きな壁や溝にぶつかれるような育ち方をしなきゃいけなくて、しかし同時に、ぶつかって、転がり落ちそうになったら、必ず親が助けてくれるんだ、という安心感も持っていなきゃいけないのでは・・・・・・
 そのぶつかって傷をうけたり、考え込んだりする体験を、親や教師から奪われてしまっているから、今の若者を見ていると、体ごと人生や社会にぶつかっていくというエネルギーがなくなってきているのではないか・・・・・・  

 見守り育てる余裕がない世の中になってしまった。だから「手紙屋」さんがはやるのでしょうか。ちなみに『手紙屋・蛍雪篇』は就職活動中の若者にあてた『手紙屋』の続編である。

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