『世界盲人列伝』とヘレン・ケラー
東京ヘレン・ケラー協会 60周年記念チャリティー「ハッピー60thコンサート」2011.1.23(第一生命ホール)
ヘレン・ケラー記念音楽コンクール出身の一流アーティストと韓国からのゲストを迎えてのコンサートはきっと、素敵な心に響くものになるでしょう。このお知らせを見て、東海散士・柴四朗が大正時代に早くも『世界盲人列伝』中でヘレン・ケラーを取り上げていたのを思い出した。
以下『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』(第4章・柴四朗逝く)より引用。
このころ柴四朗は、これまで世界中から集めた数百名の盲人の伝記から295人を選び出し「世界盲人列伝」の原稿を書いていた。編著の動機は、
「失明という不幸にも拘わらず詩文や音楽、学問に傑出した人物が多いのに伝記が散逸していて残念である。そこで自ら著した伝記が読者の心に届き志をたて、また不幸にして失明した人の慰め、自分から努力し励もうとする助けになればよい」という志からであった。
とりあげたのは、
「神瞽(こ)伝。神瞽は楽聖なり」と中国周代からはじまり、欧米・中国・韓国もちろん日本もで最後の「ヘレンクラー女史伝」まで幅広い。ヘレン・ケラーが来日する30余年前すでに
「空前絶後の人とはこの人ならんか。ケラーは一流の婦人記者、思索家、教育家」と讃えている。
巻末に石川兼六『本朝瞽人伝』著者が跋を寄せているが、四朗は検校などの伝記を探しに盲唖学校を訪ねて石川と面談した。そのさい、
「瞽人伝の続編の計画があるようだが自分(四朗)の原稿が役立つなら、喜んで提供する」と申し出た。志を同じくする者同士と助けになればよいと思ったのだろう。
この「世界盲人列伝」はあまり知られていないようだ。筆者が閲覧したのは国会図書館蔵で養子柴守明が1913(昭和7)年に再刊したものである。(参考までに国会図書館・請求記号610-167)
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