唄を忘れたカナリヤは/松岡正剛
芸術の秋、展覧会の案内が届いた。
「BMW・3人展」川鍋和子・鷹琢栄峰・安原竹夫/2010.12.4~12.14
“アートギャラリーこはく”070-5567-8729 東武野田線・大和田駅下車
安原先生は『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』に、筆者が想う以上の深い趣のある表紙を描いてくださった。アトリエに伺って原画を前にし、
「芸術家ってこんな風に表現するんだ」「近代百年が一枚の絵で表現されてる!」。あの時の感激は忘れられない。自慢の表紙のためにも「明治の兄弟」が広まるといいなと思っている。
展覧会案内に加えて<日本の「編集文化」を考える>「松岡正剛」のコピーが同封されていた。
論文の出だしは、日本の童謡『金糸雀(カナリヤ)』からで、子ども心にも残酷な歌詞だなと思ったのを想い出す。果たしてそれには深い意味があったのだ。
唄を忘れた金糸雀は 後の山に棄てましょか
いえ いえ それはなりませぬ
唄を忘れた金糸雀は背戸の小藪に埋けましょか
いえ いえ それはなりませぬ
(以下略)
教育勅語の縛り、修身が投影されている小学唱歌の時代に童謡第1号として作られたのが「唄を忘れたカナリヤ」だった。西条八十が雑誌「赤い鳥」に発表、そしてそのカナリヤは「日本の面影を忘れた日本」だという。カナリヤは月夜の海で忘れた唄をおもいだすが、日本は日本の何を思いだせばいいのだろう。
論文は「唄を忘れたカナリヤ」からはじまって、野口雨情、九鬼周造の編集方法などへと展開して海軍軍縮条約「統帥権干犯~~」で終わる。読んで興味津々、いろいろ触発された。内容を紹介したいが、とてもよく纏まっているので短くできない。
また不勉強で松岡正剛という人を知らなかったので、ネットで見てみた。するとたいへん活躍している。他にも読んでみよう。
ちなみに安原竹夫、松岡正剛、お二人とも早稲田のご出身。自分は毎週、早稲田の近代史講座に通ってキャンパスはお馴染み、15階レストランから写した黄葉のキャンパスを写してみた。また公孫樹の根本にはギンナンがたくさん落ちている。学生さんは拾わないからエクステンション講座のおばさんたちが拾っている。
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