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2010年11月13日 (土)

『明治人のお葬式』広瀬武夫

 当たり前だけど明治は江戸時代の続き、風俗習慣ことに葬式など多くは伝統のやり方で取り仕切られただろう。しかし時代は替わり変化があった。
 『明治人のお葬式』(此経啓助・現代書館)によると、それまでの仏葬式に替わり、神道国教化政策をとる維新政府は布告をだして神葬式を強要した。
 神葬式の実施に際してはなじみがないので苦心があった模様。そのエピソードはNHK「龍馬伝」に出てくる山内容堂”殿様の葬送に芸者や役者が参列”に描かれている。

 取り上げられた人物は、その土佐の殿様からはじまって木戸孝允大久保利通岩倉具視勝海舟など明治の元勲から樋口一葉福沢諭吉二葉亭四迷正岡子規ほか、そして夏目漱石まで多彩だ。
 葬儀の規模は岩崎弥太郎の“大葬儀に雇ったアルバイト七万人”から、石川啄木の“葬列も出せない貧窮の中の淋しい葬式”まで落差が激しい。

 誰を抜き出してみようか考えていたらNHK「坂の上の雲」が又始まるそうで番組宣伝を兼ねて撮影現場が放送されていた。
 広瀬武夫、知る人ぞ知る「杉野はいずこ」、日露戦争の撮影現場もあった。広瀬の葬儀には“雲霞のごとき見物人が軍神を見送った”という。

 日露戦争:ロシアが中国満州の独占支配と韓国進出を図り、日本と利害が対立。1904明治37年2月開戦―――以下「明治の兄弟」より

 連合艦隊旅順口閉塞作戦を実施したが失敗、以後第二回、三回と実施するも、暴風雨とロシア側の攻撃により失敗に終わった。この第二回作戦指揮官の一人、広瀬武夫少佐は部下の杉野上等兵曹の身を案じながら壮烈な戦士をとげ軍神と称えられることになった。

 四月、東郷艦隊は閉塞作戦と併行して機雷を敷設、旅順港外へロシア艦隊をさそい出して攻撃した。ロシア戦艦は慌てて港内に逃れようとして機雷にふれ海底に沈んだ。ロシア艦隊の司令長官マカロフ中将が戦死したが、完全な封鎖には至らなかった。

 このころロシアがバルチック艦隊の派遣を決定したと知った日本海軍は、旅順のロシア艦隊をいかに早く撃破すべきか頭を悩ませることになった―――続きはご存じ『坂の上の雲』秋山真之の活躍をどうぞ。

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コメント

日本は神道を古くから重んじてきた、維新の目的は二つある、旧来の悪習を廃して文明開化をする事、二つ目は日本、本来の建国精神の復興つまり王政復古の大号令、この二つが大きな維新の趣旨である。従って神式の葬式になるのは何の問題もない、この記事を見る限り、一方的に神道を悪だと決めつけ、維新の本来の意味すら知らず、学校の反日教員が教えている様な事を語っているに過ぎない、こんな方が私の尊敬する広瀬武夫中将に触れないで欲しい、

投稿: | 2022年9月 5日 (月) 00時19分

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