ドナルド・キーン『明治天皇』 / 柴太一郎(福島県)
大震災に沈んでいる日本から外国人が滞在をとりやめるニュースが相次ぐなか、アメリカ人で日本文学研究者のドナルド・キーン氏が日本永住をきめたと報道された。うれしいニュースだ。かなり前に公民館か図書館だったかで講演をきいたことがある。
キーン氏が外国人なのに日本語が達者で日本文学に造詣が深いのに驚き、また包み込むような温かい笑顔が印象に残っている。その国の人間でなくても、他国の文化を愛し理解できると教わった忘れられない講演だ。
ニュースを聞いてキーン氏の講演を思いだし、著作『明治天皇』(角地幸男訳・新潮文庫)を読みだした。幕末・明治期でバラバラに知っていることがつながるようで、興味深い。まだ途中だが「そういうことなんだ」という場面があったので引用してみる。これから先も同じ事がありそうで楽しみだ。
1862(文久2)年11月、三条実美は勅使として攘夷督促・親兵設置を将軍家茂に伝えるため京を出発するに先だち柴太一郎に
「攘夷の実行を督促しに江戸に行く。ついては勅使の待遇が不都合千万であるから、容保は上京する前にこの件について改正するように」と沙汰書を渡した。太一郎が江戸に持参し、松平容保が幕府に持出したところ
「陪臣が出先で重大なご沙汰を受けるのは不都合である。幕府の威厳に関わる」と議論になったが、勅使の待遇は改善された。その結果、実美が江戸に着くと将軍みずから玄関に出て迎えるなど丁重を極めた。
(『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』京都守護職より)
天皇と将軍の立場が入れ替わったことを如実に示す出来事が、文久2年11月27日、江戸城で起きた。この日、勅使権中納言三条実美、副使右近衛権少将姉小路公知は、将軍家茂に宛てた孝明天皇の勅書を携えて江戸城に入った――(中略)――
勅使が将軍に拝謁するに際し、これまで将軍は大広間上段に着座するのが慣いだった――(中略)―― 当日、まず勅使たる三条実美が大広間上段に進んだ。中段で勅使の会釈を待ち、しかるのち上段へ進み、勅書を拝受したのは将軍家茂の方だった。両者の立場が入れ替わったことを示す決定的瞬間だった。
(『明治天皇』第1巻・征夷大将軍より)
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