心はひとつ、なれど一つではない東北
3月に雨戸、シャッターの工事を頼んだが、工場が震災被害のため部品がなく5月になっても工事にかかれない。でも、被災地を思えば文句どころか無事平穏に暮らせてい、住むに事欠く避難所生活で「がんばります」という人たちに申し訳ないくらいだ。
常ならライバルの同業者や漁師さんたちが、一つになり立ち上がったという明るいニュースも伝えられるようになった。東北人は辛抱強く粘り強いというイメージがある。動き出せば復興は遠くないだろう。
東北について前述のイメージしかなかったが、『対話「東北」論』1984(樺山紘一ほか著/福武書店)を読んで、東北を一纏めにイメージするのは偏っていると思った。
『対話「東北」論』は、東北について外から内から談じ(樺山紘一・岩本由輝)(樺山紘一/米山俊直)、さまざまな東北論を展開している。そうなんだと感じる事が多多あった。
<一つではない東北>
―――1982(昭和57)年は東北新幹線開通、井上ひさしさんの『吉里吉里人』など、東北がいろいろ話題になった年・・・・・・原子力船「むつ」の問題をふくめて、
―――東北という呼び方は日本の近代と切り離せない。東北以外の人びとから一つの纏まった地域と思われてしまって、一つのイメージでとらえられている。実際は東北の中でも南と北のちがいがあり、太平洋側と日本海側ではうんとちがうにもかかわらず、後進とか辺境といった一つのイメージがつくられてしまった。
―――東北の東と西。出羽の国、つまり日本海側の東北というのは越の国をふくめて直接上方につながっていた。それにくらべて東側の陸奥の国のほうは、上方とつながりはほとんどない。東国の延長かもしれないし、ことによると蝦夷、北辺の地にもつながる。歴史的には、東北ははっきり二つに分かれている。
<外からの東北像>
―――芭蕉の『おくのほそ道』が作り出した東北のイメージが、300年後のわれわれを拘束しているところがある。
―――(正岡)子規以後の俳諧の人びとが近代日本の意識にとらわれて芭蕉を読むものだから、『おくのほそ道』が結果として東北辺境認識を植え付けてきた
―――柳田国男が遠野をはじめ東北に接するところから独特の民俗学が出発した。『遠野物語』がつくっている東北像、東北のイメージには独特の偏りが
―――東北を外から見た人に菅江真澄がいた。菅江は東北人の生活諸相に理解力があり、景色をはじめとして本当に写実的に写しています・・・・・・菅江真澄の仕事がもっと早く理解されていたら、東北に対する一般の見方がずっと変わっていたかも知れない。
―――遅れた東北のイメージが定着、昭和30年頃、政府は、東北地方は日本の食糧基地であるとか、電力基地であるとかいう考え方をとり、東北も受け入れた。
<小盆地宇宙から>
―――東北の暗いイメージを根底から考え直そう・・・・・太宰治にみられるように、思い詰めていながらどこか余裕があるところとか、宮澤賢治のような魔術的な発想、斎藤茂吉のようなシュールリアリスティックな存在感、いろんな資質が東北の人間にはあるのです。
―――野口英世、金田一京助、本田光太郎、我妻栄、ユニークな人材をたくさん生んでいます。
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