有光教一、日韓の架け橋となった学者
大震災、津波そして原発事故があった3月11日以来、ぼんやりしていると虚無感にとらわれ、何事もどうでもよくなりがちだ。
でも朝、黄色い帽子を被り並んで登校する小学生に会うと、「この子たちの人生はまだ始まってもいない」。
彼らが大人になったとき少しでも住みよい世の中であるよう、ちゃんと生きていかなければと思う。
そして又、世の中にこんな立派な人がいたのかと感動したときも、前向きになれる。
前回、朝鮮の古代文化を研究した鮎貝槐園をあげてみたが、同じく朝鮮を研究した学者<半島の文化財守った泰斗>有光教一を悼む記事(毎日新聞・佐々木泰造)を読んだ。103歳で死去したという。
業績、論文を理解できる能力はないが、日韓の立派な架け橋になった学者という事は理解できた。
有光教一・高麗美術館研究所長。
戦前戦後を通じて朝鮮考古学研究に貢献。京都大大学院生のとき朝鮮に渡り、朝鮮総督府の嘱託として古墳を調査、昭和16年から終戦まで朝鮮総督府博物館の責任者だった。
戦時中は、収蔵品を戦火から守るため館員らとともに列車で地方分館に疎開させ、植民地時代でも朝鮮で出土した遺物は現地で保存すべきと主張したという。
敗戦後も疎開品の回収、国立博物館の開館準備、朝鮮の考古学者育成のための発掘調査指導という仕事のため朝鮮に留まった。
植民地下で発掘調査した古墳の報告書が、戦争の混乱などによって未刊のままだったが、約70年ぶりの報告書刊行になった。祝う会に韓国から駆けつけた李蘭暎・元国立慶州博物館長の、
「私ぐらいの年齢の者は日帝下で受けた苦痛をいまだに覚えています。不幸な過去はあっても、私は有光先生への尊敬と愛情の念から先生の国をこれからも好きになると思っています」
国と国とが良い関係を持つには、まず人と人の繋がりから、互いに尊敬できる人物に出会う事から始まるようだ。
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