アイルランドと柴四朗(福島・千葉)
2011.5.19毎日新聞夕刊<英女王「悲しく残念」>【ロンドン笠原敏彦】
英国王として100年ぶりに隣国アイルランドを訪問中のエリザベス女王。ダブリン市内での歓迎晩餐会であいさつした。アイルランド独立闘争犠牲者に「深いお悔やみ」の念を表明し、過去の関係について「悲しく、残念な事実」だと述べたのである。
イギリス×アイルランドの歴史を少し知るので、小見出しの「支配の直接謝罪なし」に目が留まった。
両国の軋轢を知るきっかけは西洋史でなく、明治のベストセラー柴四朗著『佳人之奇遇』であった。両国の歴史関係は以下のようである。
19世紀半ば、アイルランドにおいて独立を要求する武装反乱がおこるとイギリスは残酷に弾圧した。また大飢饉、海外へ移住者が激増した。アメリカにはアイルランド系が多いと聞く。19世紀末までに人口は半減したが、アイルランド農民の窮乏はますます激しくなり、ついに民族的な統一組織が生まれ土地会報と民族独立の大運動を展開して抵抗した。
この動きは明治日本に早くから伝わって、自国の行く末を案じた東海散士柴四朗は『佳人之奇遇』に挿入して、人びとに警告した。元会津藩士で戊辰戦争では賊軍とされ亡国を味わった四朗には、アイルランド人の苦境がとても人ごととは思えなかったのだ。
当時は帝国主義の時代でアイルランドに限らず、エジプトやトルコなど被圧迫国の歴史に明治人は敏感だった。西欧列強が押し寄せるなか人ごととは思えなかったのだ。四朗には当時としては最新知識で著した『エジプト近世史』もある。
つぎは『佳人之奇遇』の一節だが、原文は漢文体で自分には難しいので平泉澄の著作から引用する。
ちなみに、明治青年が愛読し、暗唱した原文を味わうには『政治小説集二「佳人之奇遇」』(大沼敏男・中丸宣明校注)がお勧めである。
私はアイルランドの者です。父は貿易商で莫大な富を持っていましたが、アイルランドがイギリスの悪政に苦しめられる見るに忍びず、独立の運動を起こしました。アイルランドでは戦死する者80万に上りましたが、かような不幸はひとりアイルランドのみでなく、今のヴィクトリア女王の即位以来、英領インドの人民の餓死した者は500万、
これは英国の烈女ナイチンゲール女史の言による。女子は嘗て一書を著して、英領インドの惨状を痛論し、またクリミア戦役に看護をつとめた。
無理な戦を起こす事25回、財を費やす事7億5千万、
これは英国の賢明なる大臣ブライトの言による。1882明治15年、英国理由無くしてエジプトを討つや、ブライトはこれに反対したが、用いられなかったので断然辞職した。
(『解説佳人之奇遇』平泉澄<佳人之奇遇 巻の一大意>より)
| 固定リンク
コメント