“明治丸”と奥羽・北海道ご巡行
1876明治9年、明治天皇は奥羽・北海道巡行の帰途、函館から“明治丸”に乗船して7月20日横浜に到着された。この日が「海の記念日」である。その明治丸が東京海洋大学・越中島キャンパスに係留展示されている。
写真:明治丸の向こうは海、「明治丸の航跡を求めて――海洋立国日本のあけぼの――展」(~7/18)開催の明治丸海事ミュージアム2階から見える。
明治丸は明治7年イギリス・グラスゴーで建造された灯台視察船であるが、皇室ご用船に利用されるなどした。翌年、小笠原諸島の領有権問題が起きた際は、日本政府調査団をのせて横浜を出港した。この時の調書が小笠原領有の基礎ともなったという。
海洋工学部の前身、古くは三菱商船学校で、さらに変遷があり今の東京海洋大学となった。三菱といえば西南戦争で西郷軍と戦う政府軍の兵士を船で運んでいる。三菱商船学校があったから、素早く船も人も調達できたのだなあと気づいた。
船といえば、青い海原、ロマン、広い世界といったイメージだが、明治丸の歴史を囓って、船それぞれ航跡は生々しい歴史と重なっていると感じた。
ちなみに、奥羽巡行について、当ブログ「下北半島、広澤安任(青森・福島)2011.6.24」でも触れている。
| 固定リンク
コメント