宮中杖、大隈重信・柴五郎(佐賀県・福島県)
早稲田大学には創立者大隈重信が歴史に刻んだ足跡をたどる常設展示室、大隈記念室があり,、たまに見学する。今日は大隈重信80歳が、大正天皇より下賜された“宮中杖(鳩杖)”を見て、柴五郎の宮中杖を思いだした。
なお鳩杖を写真に撮りたかったが禁止、杖の握りに象牙だろうか白い鳩の彫刻が優しい。
昭和20年12月19日 朝日新聞
柴五郎氏(退役陸軍大将、福島県出身)
十三日 世田谷区玉川町上野毛の自宅で老衰のため死去、葬儀は十七日営まれた。
下関要塞司令官、東京衛戌総督、台湾軍司令官、軍事参議官を歴任、宮中杖を差許された。
五郎の死について自殺説がある。筆者は五郎の次女西原春子さんにお目にかかったが、その死についてお尋ねする事は出来なかった。次は『武蔵野』西原照子歌集1984年より
日本の敗戦を知り日ならずして静かに逝きぬ祖父柴五郎
二人の宮中杖の話をブログにと思って手元の資料をひっくり返していたら、折良く?下記の資料があった。
明治21年「壱大日記 壱」
件名: 柴中尉清国より朝鮮国旅行の件
作成者名称: 外務大臣 大隈重信
資料作成: 明治21年4月4日
組織歴: 陸軍省
範囲と内容: (以下『明治の兄弟 柴太一郎、東海散士柴四朗、柴五郎』より抜粋)
(1887明治20年、柴五郎は青木宣純とともに北京地図作製の密命をおびて北京に赴任した。青木は清国情報通で袁世凱の顧問をしたことも。なお日本国内では五郎の兄東海散士・柴四朗も参加した自由民権の大同団結運動などの動きがみられる)
その翌21年、五郎は清国から朝鮮へ陸路を徒歩旅行をしていたが、中江という国境の地から朝鮮の義州へ入ろうとして、清国の護照(パスポート)に義州がなくて止められてしまった。この一件は近藤朝鮮代理公使から大隈外務大臣に
「柴中尉清国より朝鮮国旅行の件」として報告され、大山巌陸軍大臣に回送された。そして参謀本部、近藤代理公使と袁世凱の間で書簡のやりとりをした結果、
「学生・芝由吉」(五郎偽名)は無事に通行できた。袁世凱と近藤のやりとりに柴五郎の名はなく、芝由吉と書かれている。五郎は諜報に当たっていくつか偽名を使ったと話しているが、これもその一つのようだ。
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コメント
残念ながらアイルランドの詳しい事はわかりません。
アイルランドに興味を抱いたのは東海散士柴四朗の『佳人之奇遇』に、当時のアイルランドの困難な状況が活写されていたからです。明治維新から20年も立っていない時代に、西欧の最新の状況が出ていると知りました。
アイルランドについては“上野格”先生(
成城大学教授)が詳しいです。上野先生のご案内でアイルランド大使館主催の講演会(同時通訳つき)に行った事があります。
また、早稲田大学エクステンションで「アイルランド講座」が行われました。そこで上野先生も講義をされています。
上野先生論文「東海散士『佳人之奇遇』の周辺」(成城教育31号)ほか。
投稿: けやき | 2011年7月 5日 (火) 22時29分
イギリスとアイルランドのことを書いておられましたが、現在、
イギリスにおけるカソリックのアイルランド人は、どうしているのでしょうか。
カソリックの教会などには、出席しているのでしょうか?
投稿: sizu | 2011年7月 5日 (火) 16時52分