大熊町(福島県)
ちょうど10年前、福島県に転勤中の息子夫婦に次男が生まれた。私は常磐線に乗って大熊町に出産手伝いに行った。さっそく双葉厚生病院に見舞いに行くと母子共に元気で一安心した。それからは町の保育園に一時預かりしてもらっている3歳の長男の送り迎え、家事を手伝った。
はじめて行った大熊町、駅舎は立派で道巾は広く、緑豊かで水がきれい、時間があるとあちこち自転車で回った。橋の上から川をみると魚の泳ぐ姿があり、いつまでも見飽きなかった。
保育園は芝生の庭が広々としてゆったりしていた。孫を迎えに行き、果樹園の傍らを手を繋いで歩いたのが今は懐かしい。立派な図書館もあった。ホテルのような外観、蔵書もさることながら広い館内はなかなか風情があった。それもこれも豊かな財政がしのばれる。が、3.11原発事故で一瞬にして何もかも失った。
息子一家は再び転勤になり近くにいるが、まかり間違えば大災害に遭った。大熊町の苦難は遠くない現実。町の人が故郷に帰れる日はいつなのだろう。
2011.8.27毎日新聞<「福島県産米 初出荷へ」早場米セシウム規制値下回る> に、せめてもの幸いだと思った。しかし、同じ朝刊に酷な現実が
<福島の農地 復旧厳しく>「政府工程表2120ヘクタールが警戒区域内。放射性物質による土壌汚染~~復旧の見通し、確かなことは言えない」
東北関東大震災から半年近くになろうとしているのに復興どころか、仮設住宅にも入居出来ない人がいる!どうしてなんだ。よく分からずもやもやしているとき、
『福島原発人災記――安全神話を騙った人々』川村湊(現代書館)に出会い、一気に読み通した。読後の整理できず内容紹介できないが、お勧めしたい。
追記
“帰郷困難 20年超も 原発事故・政府試算”2011.8.28毎日新聞
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