« 広報「新地」(福島県相馬郡) | トップページ | 仙台停車場事件 佐藤郁二郎(宮城県) »

2011年8月 4日 (木)

がんばろう東北!こども&柴四朗ら明治人の囲碁

 宮城でこども囲碁「ゆうちょ杯ジュニア本因坊戦」全国大会の代表選手が決まった直後、3月11日に東日本大震災が発生、大会が中止となった。その代わり被災地の子供らを元気づける“子ども囲碁フェスタ”が7月末に開催された。

 会場は宮城県大崎市の東北大学、避難所ともなった体育館。宮城岩手福島山形の4県から、4歳~16歳の200人がプロ棋士と交流を楽しんだ。
 公開対局で小学5年の高橋慶輔君が、仙台出身の一力遼初段に挑戦、解説の結城聡天元に「これだけ打てれば十分」と激賞された。
 小学6年加藤彩杜君と安斎伸彰6段の対局もあり加藤君は「負けたけど、自分なりに打てた。満足です」。ほかに多面打ち指導碁、入門教室もあった(毎日新聞 2011.8.4)。

 シンプルで奥行きがありそうな囲碁、自分には難しすぎてサッパリ分からない。が、真剣に碁盤に向かう子供たちの姿が目に浮かんで感心するばかり。昔は幼いときから囲碁将棋が身近で、共通の楽しみ、素養だったと思う。

 1886年、谷干城(秘書官・柴四朗)がヨーロッパ巡回視察の航海中、船内では囲碁将棋をして楽しんだという記述がある。何しろ明治の昔は、アメリカまで3週間あまりの長い航海だ。

 ちなみに柴四朗・東海散士は代議士としては、国権伸張の立場から政府反対の態度を崩さず、ナショナリズムの一境地を拓いていた。四朗の得意は議会外の駆け引きや引きまとめにあり、派手な闘将というより、地味な黒幕、陰の指図役というところにあった。政治家として読書思索を好んだ一面の現れであろうし、芯はやさしい。その一端が四朗の碁にも現れているようだ。

犬養毅大隈重信は強く、ちょっと打つのが鳩山和夫、ついで大石正巳尾崎行雄それから柴四朗中村弥六ら。大石の碁はちょっと乱暴で、中村は覇気を帯びている。はまことに柔(や)さしい」
(『維新後に於ける名士の逸談』茶話主人)。

|

« 広報「新地」(福島県相馬郡) | トップページ | 仙台停車場事件 佐藤郁二郎(宮城県) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: がんばろう東北!こども&柴四朗ら明治人の囲碁:

« 広報「新地」(福島県相馬郡) | トップページ | 仙台停車場事件 佐藤郁二郎(宮城県) »